米国リベラリズムの過激化 同性婚合法化で不寛容に

自由の規制に危機感強める保守派/オバマ政権は「まるで共産主義」

 月刊誌「正論」9月号で、福井県立大学教授の島田洋一が新連載「アメリカの深層」をスタートさせた。日米のメディアには、リベラル左派偏向が根深くあるため、米国の保守派の主張が日本人にはなかなか伝わらない。そこで、「この連載は、とりわけ保守派の議論に焦点を当て、米政治の深層に迫っていきたい」という。米国の文化・伝統を支えているのはキリスト教信仰に基づいた保守派だ。その主張が伝わらなければ、米国の真実の姿も分からないのだから、意義深い連載になりそうだ。

 一回目のテーマは「同性婚判決は寛容の勝利か」。今年6月26日、米連邦最高裁判所が同性カップルの結婚を全米で認める判決を下したことを取り上げたが、論考を一読すると、性的少数者(LGBT)の権利拡大が叫ばれている日本にも、そう遠くない将来、「多様性の尊重」を旗印にした不寛容の時代がやってくることを思い起こさせ、この問題の深刻さを改めて考えさせる。

 まず、島田は「寛容が不寛容に勝利、という図式で報じるメディアが多かったが、もちろん事はさほど単純ではない」と指摘する。今回の判決は判事9人のうち、賛成派5人、反対派4人の1票差だった。その上、賛成派判事のうち4人は民主党の大統領が任命したリベラル派。反対派はすべて共和党大統領の任命で、残る賛成派1人は中間派。リベラル派あるいは中間派が1人でも保守派に入れ替われば、判決が変わってしまうという微妙な構図である。

 また、日本人が知っておくべきことは、同性婚合法化判決に対する保守派の危機意識の高まりはわれわれの想像を超えるものがあるということだ。最高裁判決への保守派の反発を示すものとして、島田は憲法問題の専門家でもある共和党上院議員マイク・リーが判決当日に発表した次の声明を紹介した。

 「今や焦点は、重大な良心の権利をいかに守るかにある。結婚とは一人の男性と一人の女性の結合だと信じる人々が連邦政府に不当に扱われてはならない」

 この声明に、島田は「同性愛者への寛容を錦の御旗として、世俗原理主義者たちが伝統的保守派を圧迫(不寛容の制度化)するのを許してはならないということだ」という解説を加えている。ここで使われている「世俗原理主義者」「不寛容の制度化」という言葉は、米国リベラル派の今日的な動きを表すには、的を射た表現である。

 さらに「真に驚くべきは、本日の司法クーデターに見られる思い上がりである」とした反対派判事アントニン・スカリアの激烈な判決批判も紹介しているが、これも保守派の怒りの激しさを象徴している。前述したように、最高裁判事の勢力図は、大統領選挙で共和、民主のどちらの党が勝利するかで大きく変わる。今度の米大統領選挙の争点の一つは、同性婚問題であることは間違いない。

 リベラル派が過激になっている米国の動きに関連して、筆者がもう一つ注目した論考がある。「WiLL」10月号が掲載した論破プロジェクト実行委員長、藤井実彦の論考「テキサス親父 トニー・マラーノ日本縦断同行の記」だ。論破プロジェクトは、2014年1月にフランスのアングレームで開かれた国際漫画祭に、いわゆる「従軍慰安婦」の強制連行がなかったことを伝える作品出展を試みて、主催者から拒否された経緯がある。

 論考の中で、藤井はカリフォルニア州弁護士ケント・ギルバートとトニーが7月に大阪で行った対談の内容を紹介している。日本のテレビ番組にも出演していたことで、日本人によく知られているケントは最近、歴史認識問題などについて保守派の主張を積極的に発言し、論壇にたびたび登場するようになった。

 対談のテーマになったのは「米国で起きている『リベラルという名の下の異常事態』が日本にも急接近しているという事実」だった。その背景になっているのが「ポリティカル・コレクトネス」という概念だ。

 日本語にすれば、「政治的な観点からの正しさ」という意味だが、人種・性別・宗教・職業などに基づくあらゆる差別や偏見をなくすために、公正で中立な言葉を用いようという運動。すでに日本にもその影響が及んでおり看護婦は看護師に、またスチュワーデスは客室乗務員に言い換えられている。

 この運動の問題点は、その国の文化や伝統を破壊するばかりか、生物学的な性差までも否定する政治イデオロギー化していることだ。たとえば、島田の論考にもあったように、同性婚が合法化された米国では、宗教的な信念から同性カップルの結婚式に関わることを拒否することが許されなくなるなど、自由の抑圧に向かっている。

 藤井は論考の中で「いまのアメリカのリベラリズムは、もはや『自由主義』という原義を超えて、国民の自由を規制する概念になっているという」と、対談の内容に触れながら「まるで共産主義社会」と言いきっている。

 「その権化がいまのオバマ政権」で、同性愛容認のほか、中絶完全自由化、死刑廃止、不法移民容認、結婚制度反対などの政策に、その偏向ぶりが象徴されているという。

 筆者は90年代にワシントン特派員として米国で取材活動を行った。妊娠中絶、同性愛、死刑廃止などをめぐる論争が米国社会の分裂要因になっていたことから、絶えずフォローしていたが、民主党のオバマ政権の下、リベラル派の活動が精鋭化し、社会を支配するほどの力を持ったということなのだろう。

 さらに懸念されるのはこの動きが米国にとどまらず、世界に拡散していることだ。その原動力になっているのが、オバマ政権そのものと国連である。東京の米国大使館は性的少数者の権利問題をグローバルな課題と位置付けた講演会をたびたび主催している。

 今年4月、東京都渋谷区で同性カップルが「結婚に相当する関係」であることを認め、証明するパートナーシップ条例が施行した。渋谷区が掲げた理念は、「多様な個性を尊重しあう社会を実現する」だ。

 だが、原則を抜きにした多様性は、社会を結束させている道徳的な常識を否定し、社会を分裂させる要因になることは、不寛容の姿勢を強める米国の世俗原理主義者たちを見れば分かる。

 世田谷区も11月をめどに、渋谷区と同様の公的書類を発行するという。日本は、何年か遅れで米国社会の後追いをすると言われている。渋谷区のパートナーシップ条例が蟻の一穴にならないよう、同条例の地方拡散を警戒する必要があろう。(敬称略)

 編集委員 森田 清策