「立憲主義」の曲解 弱者救済も国家の役割
「権力を縛る」は一面的
衆参の憲法審査会で憲法改正について本格的な審議が始まったことに加え、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法案が衆院で審議入りしたことから、野党、左派メディア、弁護士会などから「立憲主義に反する」との声が頻繁に聞こえる。
データベースを「立憲主義」で検索すると、過去一カ月間で最も多く登場する新聞は朝日(48回)、次いで毎日(20回)。一方、読売と産経はそれぞれ9回と10回と少ない。民主党の枝野幸男幹事長は衆院代表質問で「本法案は、立憲主義に反する恣意(しい)的な憲法解釈変更を、一時の議会多数をもって正当化するものだ」と批判した(朝日27日付)。こうした状況から、安部政権の憲法観を批判するために左派メディアや政治家が使っているのが、立憲主義だということが分かろう。
左派をはじめとした論客は、立憲主義について、主権者である国民の権利を守るために権力を縛るのが憲法だとする考え方であると説明することが多い。しかし、果たしてこの解釈が正しいのか。麗澤大学教授の八木秀次が、この解釈の一面性を歯切れよく批判している(「反知性主義を呼び覚ます“知識人”とメディア」=「正論」6月号)。
八木が俎上に載せたのは「文藝春秋」5月号掲載の鼎談「安倍首相よ、正々堂々と憲法九条を改正せよ」での識者の発言だ。副題に「自民改憲草案」は知能レベルが低すぎる」とあるように、自民党を辛辣(しんらつ)に批判したのは、東京都知事の舛添要一、慶應義塾大学名誉教授の小林節、そして国際政治学者の三浦瑠璃の3人。
たとえば、小林は「いまの自民党の憲法観は、完全に間違っている。憲法は、主権者国民の意思として、権力を担当する政治家以下の公務員がフライングしないように縛るものです」と語っている。また、舛添も「憲法とは国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するもの。これが、もっとも基本的な『立憲主義』の考え方です。それすら知らない政治家が憲法改正に携わっていいのか。恐るべきことですよ。最低限の知能と歴史の知識、それがない人たちが今回の改正を進めているんですね」と、痛烈にこきおろしている。
これに対して、八木は「立憲主義は多義的で、権力を縛る側面だけを強調するのは一面的すぎる」と論評を加え、三つに分けて解説している。権力を縛るという側面を強調するのは近代立憲主義で、そのほかに「法」に権力者も人民もともに支配されるという「中世立憲主義」、そして「単に権力を縛るのではなく、権力を活用して弱者を救済するのが国家の役割」という「現代立憲主義」の考え方があるという。
また、小林は「主権者である国民は憲法に縛られない」として、自民党の草案が「国民は、この憲法を尊重しなければならない」と書いたことも批判する。しかし、八木は、「国民が憲法を尊重するのは当然のこと、「理の当然」だから、日本国憲法は「憲法尊重擁護義務の主体として規定しなかった」というのが通説だと解説する。そして、「反知性主義を助長しているのはいったい誰なのかと思われてならない」と結んでいる。立憲主義を持ち出し、安倍政権の憲法観を批判する論客の底の浅さを浮き彫りにした論考である。
編集委員 森田 清策