ネット依存の現実 生きづらさが背景に
科学技術で失うもの大きい
情報テクノロジーが急激に進歩を遂げている。そんな時代を映し出す言葉を挙げれば、かつては「テレビ中毒」だったが、今なら「ネット依存症」だろう。しかし、この二つの言葉には、決定的な違いがある。前者は、テレビから離れられないという意思の弱さを揶揄(やゆ)した造語だが、後者は意思そのものが破壊されてしまう、れっきとした病気である。しかも、その深刻度は、若者の肉体と精神の両面に及び、社会の未来に暗い影を投げかけている。
ネット依存症の治療を行う医療機関がまだ少ないなかで、早くからこの問題に取り組んでいるのが依存治療部門を持つ独立行政法人国立病院機構「久里浜医療センター」だ。同センター院長で精神科医の樋口進の論考「増加するネット依存症の現在。」(「潮」6月号)によると、20歳以上でネット依存が疑われる者は全国で推計270万人(2008年調査)。しかも、13年調査ではこの数は1・5倍になっている。全国の中高生51万8000人がネット依存傾向にあると警鐘を鳴らす厚生労働省推計もある。
“ネット社会”にあっては、依存症だけが問題なのではない。情報教育・ネット依存アドバイザーの遠藤美季は「ITテクノロジーの進歩によって、人々は向上するチャンスを奪(うば)われているのではないだろうか」(「ネット、ゲームへの依存に陥らないために。」=「潮」)と指摘する。
便利な生活を与えてくれている科学技術は、現代人をさまざまな労苦から解放したが、その労苦が人の精神を鍛えてきたのもまた事実だ。
たとえば、電車に乗ると、筆者は時々、駄々をこねる乳幼児にスマホを与えて、なだめる母親の姿を見ることがある。そんな場面に出くわすと、子供の人格形成への悪影響、そしてそんな子供たちが築く日本の将来を思うと、底知れぬ不安に襲われる。
「スマホなどに接する時期が早ければ早いほど、依存するリスクが高くなることは確かだ」(樋口)。もの心つく前に、指一本で操作できる情報機器を与えることの有害性については、専門家でなくとも容易に想像できよう。スマホに子守をさせることで、母子が絆を強める機会を放棄してしまっているのではないか。
筆者のように、成人式を終えてからパソコンに触れた世代ともなれば、便利なテクノロジーが人間に与える「負」の影響に、本能的な警戒感を抱く。しかし、そうでない親が少なくないのは、彼らが生まれた時には、身近にネットやケイタイがあったからなのだろうか。
樋口と遠藤の論考に共通する点はいくつかあるが、印象的だったのは、ネット依存に陥る人間は生きづらさを抱えていることだ。希薄化する人間関係の中で、居場所を失った若者たちが仮想空間の中に“安住の場”を見つけているのだ。
遠藤は、ネット依存に陥らない人間の共通項として、①自己肯定感が高い②自分の将来に明るい希望を抱く③家族関係が良好――などを挙げる。つまり、ネット依存を防ぐカギは、家族をはじめとした現実の人と人との関わりなのだ。
「ゲーム会社は、ユーザー確保のために競(きそ)って依存性の高いゲームを開発しているように見える」という樋口の指摘も重要だ。人間関係の希薄化と金儲(もう)け優先の企業、そこにネットの普及が重なって、日本の社会は負のスパイラルを描きながら、もがいているように思えてならない。そのスパイラルに楔(くさび)を打ち込むには、未成年者のネットへのアクセスを制限するぐらいの思い切った手を打つ以外ないだろう。
編集委員 森田 清策