「慰安婦」誤報に反省なし、朝日元記者の自己弁護
「捏造」に反論も正確な報道軽視
慰安婦と原発事故をめぐる朝日新聞の二つの誤報は今年の論壇最大のテーマだった。同社の第三者機関「報道と人権委員会」が「吉田調書」について報告書をまとめたのに続いて、慰安婦に関する第三者委員会も検証結果を公表。これで戦後の左翼的ジャーナリズムの欠陥を露呈させた歴史的大誤報問題は一応決着したと言いたいところだが、今後もしばらく続きそうだ。
リベラル・左翼を中心にした朝日擁護勢力は、問題の本質は誤報ではなく、女性の人権蹂躙(じゅうりん)にあると論理のすり替えを続けるからだ。その先頭に立つのは朝日OBたちで、長年の独善的な報道姿勢の改善は容易でないことを示している。この欄ではこれまでも何度か朝日問題を論じたが、今年の論壇時評はこのテーマで締めくくりたい。
1991年8月、慰安婦として最初に名乗り出た韓国人女性について他紙に先駆けて報じた元朝日記者の植村隆(現北星学園大非常勤講師)は「文藝春秋」1月号に、手記「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」を寄せている。
25㌻に及ぶ長文の中で、植村は記事を「捏造」と指摘されることへの反証を試みている。また、本人だけでなく家族や勤務する大学への脅迫、週刊誌の「植村バッシング」「ネットの攻撃」については悔しさを露わにする。それらについてはなるほどを思わせる部分もあるが、読後に後味の悪さが残った。記事の執筆者として、読者に誤解を与えた事実を真摯(しんし)に受け止めているという謙虚さがまったく感じられなかったからだ。
手記発表のあとの動きだが、第三委の報告は「女子勤労挺身隊」と慰安婦の混同した過去の記事は「読者の誤解を招くものだった」と指摘した。これを受け、朝日は植村の記事のうち、前文にある「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」との部分は誤りだとして、訂正しおわびした。
だが、植村の手記は、自己弁護はあっても謝罪はない。読者に誤解を与えた事実に現在、どう向き合っているのか、まったく言及していないのだ。たとえば、「韓国では当時、慰安婦のことを挺身隊と言っていた」、あるいは朝日の同僚だけでなく他の新聞も両者を混同していた、と強調する。しかし、これは自己弁護の言説でしかない。
新聞記者として、慰安婦問題に強い思い入れをもって取り組もうとするなら、慰安婦についてもっと勉強しておくべきだったのではないか。戦前・戦中派世代なら、両者の違いを知る人間は少なくない。元慰安婦の証言内容の裏付け取材をすれば、両者を混同することはなかったはず。吉田の偽証をそのまま記事にした記者と同じく、植村はその努力を怠ったのである。
手記を掲載した「文藝春秋」編集部も指摘したことだが、元慰安婦と名乗り出た韓国人女性がキーセン学校に通っていた事実は、慰安婦になった経緯を知る上で重要な意味を持つ。それを記事にしなかった点についても「どんな経歴であっても、自ら望んで慰安婦になったわけではない。被害者は、被害者ではないのか」と主張した。しかし、これでは慰安婦になった経緯も、加害者が誰なのかも曖昧。そこをはっきりさせるのが記者の使命であるという自覚がまったく感じられない。たぶん植村は感傷と思い込みの強いタイプの記者だったのだろう。
記者の最大の責務は事実を公平かつ正確に伝えることだ。たとえ「捏造」と言われることは承服できないとしても、結果として記事に誤りがあったことについては潔い反省が必要である。その観点からすると、植村の言い分は、自分勝手で冗舌な弁解としか読み取れない。手記に説得力を感じない理由はさらにある。
内閣府が今月20日発表した世論調査によると、韓国に「親しみを感じない」と答えた日本人は66・4%で過去最高となった。歴史認識をめぐる両国関係の悪化が背景にあるのは間違いない。首都大学東京特任教授・鄭大均は論考「日韓は何を間違えたのか」(「中央公論」1月号)で、「心の問題を外交事案とすることの愚」(副題)という鋭い指摘を行っている。
だが、植村の手記からは、朝日が一連の報道で慰安婦問題を国際・外交問題にした責任の一端を負うという意識や悔恨は、まったく感じられなかった。この点だけでも、手記は朝日応援団以外の読者を納得させるものではない。そこに朝日らしい独善的体質も垣間見える。
そして最後に、「歴史の暗部を見つめようとする人々を攻撃し、ひるませようとする勢力が二〇一四年の日本にいる」「私は『捏造記者』ではない」「不当なバッシングに屈する訳にはいかない」と、決意表明を行っている。
これでは、「慰安婦問題の本質 直視を」との見出しを掲げて「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」とした8月5日付朝日の検証記事と同じではないか。きっと朝日社内には同じ精神構造の記者が残っているはずだ。第三者委が「読者の信頼を裏切るもの」と断罪したところで、今ごろ、それに反発する空気が漂っているかもしれない。朝日の体質は、今後しばらく論壇のテーマであり続けるだろう。
編集委員 森田 清策