認知症治療の課題、危険な薬への過剰依存

周辺症状の緩和が鍵

 月刊誌で最近目立つ論考のテーマは「死」「老」「病」だ。12月号では、「潮」が認知症の特集を組み、作家の橋本治は「新潮45」に「年を取る」を連載している。

 論壇におけるこの傾向は超高齢社会を反映しているのは間違いないが、そこからさらに思考を深めると、死生観を問い直して思考の枠組みの転換を迫るものとなるから興味深い。「生老病死」という仏教の言葉があるように、本来生きることと老い、病そして死は切り離すことのできない関係にある。しかし、新薬の開発や医療技術の発達の中で、生からその他の三つの「苦」を切り離そうと、躍起になってきたのが文明社会ではないのか。

 ところが、“予備軍”も入れると高齢者の4人に1人が認知症と言われる超高齢社会の現実が、再び生老病死を近づけているようだ。老病死を考えることは、いかに生きるのか、を問い掛けることにつながり、人生の本質に迫るテーマでもある。

 高齢者の増加は、少子化と重なって社会発展のマイナス要因として捉えられる傾向が強いが、人間存在や人と人の関係をより根源的に考えるきっかけを与えている面もある。こう考えれば、超高齢社会は新たな社会構築の理念確立に利するものとして前向きに捉えることもできよう。

 今月の論壇の中で、そんな問題意識から興味深く読んだのはノンフィクションライターの奥野修司氏の論考「六種類を超えると影響あり 『薬漬医療』が認知症を作る」(「文藝春秋」)。この論考によると、予備軍も入れれば「認知症八百万人時代」と言われる中で、「医原病」つまり医者によって「作られた認知症」が少なくないという。

 高血圧の薬が認知症のリスクを高めると言われていることもこれに入るのだろうが、まず奥野氏が指摘したのは「多剤併用」の危険性だ。抗精神病薬など17種類の薬を飲んでいて眠らない、徘徊(はいかい)などの症状が悪化した認知症患者が別の医師に診てもらって薬を4種類に減らしたとたんに、症状が改善したという例を挙げている。

 これと同じようなケースは筆者も体験している。膠原(こうげん)病などの既往症を抱えて睡眠導入剤などを多剤併用していた身内がある日突然徘徊し出した。「認知症か」と覚悟したが、別のベテラン医師に服用している薬をチェックしてもらって薬を減らしたところ、ぴたりと徘徊が治まったのだ。それでいて、他の症状が悪化したかと言えば、そうでもない。

 こんな経験をすると、奥野氏の指摘はストンと胸に落ちる。そして、そこから言えることは、医原病が増える背景に、日本人の医療や薬に対する過剰な依存心があるのかもしれないということだ。

 血圧が上がるのは加齢が引き起こす自然な現象であるから、これを薬で無理にコントロールすることの弊害については理解しやすい。その他の症状についても、薬を使わずに改善するための努力に、私たちはもっと目を向けるべきなのだろう。

 だが、認知症では、自宅介護を難しくする症状もあるので、そこへの対策は急務である。徘徊や睡眠障害だ。認知症患者の行方不明者は年間1万人と言われる(NHK調査)ように、徘徊は事故の危険性もあり、命に関わる問題である。睡眠障害は3日続けば、当人だけでなく介護者もダウンしてしまう。

 奥野氏は、徘徊には理由があると指摘している。認知症患者は意味もなく徘徊するとの認識を持つ人が多いだろうが、実はそうではないという。たとえば、外の空気を吸うと、気分がすっきりする。あるいは、怒る家族から逃げるといった具合に。

 同じことは、ジャーナリスト矢部武の論考「アメリカが取り組む認知症の『徘徊者』対策」(「潮」)でも指摘している。「認知症の人が徘徊するのはほとんどの場合、特別な理由・目的があるからだ。毎日決まった時間に外出しようとする人は昔の仕事を思い出し、働きに出ようとしているのかもしれないし、家のなかを歩き回るのは何かを食べたい、トイレに行きたい、運動したいなどの理由があるのかもしれない」。

 こうしてみると、認知症治療を考える場合、認知症患者を取り巻く環境が周辺症状(BPSD)を緩和させることも悪化させることもあることが重要ポイントになってくることが分かる。健康な人間だって、ただ叱り付けられることが続けばうつになってしまうだろう。

 「潮」の特集は、家族や地域が認知症患者を優しく見守ることの大切さを伝えているが、その前提条件として、認知症に対する周囲の人の理解を深めることがある。超高齢社会と言いながら、今の日本にはこの努力が決定的に欠けている。だれしも老いて障害を持つようになるのに、否定的感情で認知症患者を見る人は少なくない。しかし、この病気についての理解を深めることは、「老」を自らの「生」に引き寄せて考えることにつながるのだから、家族や地域の人々の生き方を変える可能性を秘めているように思う。

 編集委員 森田 清策