リーダーの情報発信

「死」タブー視、危機感弱める

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍晋三首相が「緊急事態宣言」を行ってから、2週間がたった。しかし、週末になると、東京の都心部はともかく、住宅地域近くの商店街は賑(にぎ)わいを見せており、宣言が目標とする外出の「8割減」にはほど遠い状況だ。
 外国と違い、宣言の強制力が弱く、国民の自主的な協力が前提となっていることが、その主な要因であることは間違いない。そうだとすれば、その自主性を喚起する指導者の発信力が問われる。その観点から、明治大学政治経済学部教授の海野素央が鋭い指摘を行っている(「世界のリーダーはどう危機を発信したか?」「Wedge」5月号)。

 国民にコロナ禍の危険度を伝える際、マクロン仏大統領はテレビ演説で、「戦争状態にある」と訴えた。トランプ米大統領は自らを「戦時下の大統領」として描き、コロナという「見えざる敵」との戦いを強調。そして「死者数が10万人から最大24万人以上になる」と、大勢の死者が出ることを国民に知らせた。コロナに感染し入院したジョンソン英首相も医療崩壊すれば「死者が増える」と語って、警鐘を鳴らした。

 国民に危機意識を持たせる上で、指導者が戦争と死に向き合っていることを示すこと以上に効果的な情報発信はない。しかし、日本の政治指導者は、医療崩壊すれば「死者数が何千人も増加する」と、具体的な数字を挙げて、危機的状況を説明することはない。ましてや「戦争」に例えて、コロナ禍への対応の厳しさを訴えることもなかった。

 それは政治家個人の資質だけでなく、現在の社会の在り方の反映でもあろう。このため、海野は「日本はそもそも『戦争』『死』はタブーである。日本社会は『死』を直視しない傾向があるので、コロナ感染リスクを甘くみている」と指摘した。

 国難にあっては、死に向き合い、最悪の事態をも想定しながらも楽観論者である続けることのできるのが強いリーダーである。海野の論考は、リーダーの発信力に限定したものだが、戦争と死をタブーにしているのは国民一般については言えることだ。

 医師の鎌田實が「潮」で続けていた連載「輝く人生の『終(しま)い方(かた)』」が5月号で最終回を迎えた。その中で、東日本大震災を機に、死者と生者をつなぐ「霊性」について研究してきた社会学者の金菱清が興味深い指摘を行っている。

 仏教国で輪廻(りんね)転生の思想が人々に根差し、いかにして「より善く生き、より善く死んでいけるか」に生涯を賭けるブータンの人々を目の当たりにすると、「日本社会の生き死にが“使い捨て”のように見える。どのような死生観を持つかで、生の在(あ)り方はまったく異なってくる」と実感したという。

 「3・11」の後、被災地で「死生観が変わった」という声を多く聞いたが、コロナ禍後はどうだろうか。(敬称略)

 編集委員 森田 清策