子宮頸がんワクチン論争、無視される親の教育権


 重篤な副反応で苦しむ少女が多数出たことで問題となっている子宮頸がんワクチンについて、現在続く論争の盲点を浮き彫りにする論考があった。科学技術社会論研究者の佐倉統による論考「風疹の流行と何もしないことの暴力性」(「中央公論」2月号)だ。

 佐倉は「予防接種をやめることによって子宮頸がんにかかる確率の方が、副反応が生じる確率より、はるかに高い」と、ワクチン接種のメリットを強調する。さらに、ワクチン接種の副反応で苦しむのも、将来子宮頸がんで苦しむのも同じ苦痛だから、「前者は許されないが後者は許されるという理屈は、成り立たないだろう」「接種しないことによって生じる苦しみについては、みな過小評価しすぎているのではないか」とした上で、「何ごとかをしないことの暴力性についても、もっと敏感になってほしい」と接種を呼び掛けている。

 子宮頸がんワクチン論争が起きた当初から気になっていたことだが、一般人にも分かりやすい副反応問題が論争の引き金になったのは当然にしても、このワクチン接種は家庭の教育権にも関わる問題であるという視点がすっぽり抜け落ちている。がんを発症する確率と副反応が生じる確率からだけで、接種しないことの「暴力性」を指摘する佐倉の論考にも通底する盲点と言える。

 佐倉の論考は、風疹と子宮頸がんを同列に扱っているが、前者は飛沫感染または直接接触感染によるものだ。一方、後者については、発症の一因とされるウイルスの感染経路は性行為で非常に限定的だ。たとえウイルス感染してもがんを発症するのはわずかの割合であるから、子宮頸がんワクチン接種に社会防衛的な意味合いはない。

 発症者が増えたのは1990年以降で、背景には性体験の低年齢化や不特定多数との性交がある、と報告されている。逆に言えば、家庭で純潔を大切にする人間に育てれば、ウイルスに感染する確率は断然低くなる。

 もし、接種するとなると、子供に接種理由を説明する必要があるが、説明内容は“純潔を守る”という家庭の価値観と矛盾をきたしてしまう。親は娘に「将来、あなたが性的に活発になる時のために、予防接種します」とは言えないのである。

 さらには、ワクチンは完璧ではない。接種してもがん発症を5、6割防げればいいほうで、それもまだはっきり分かっていない。接種するとなると、副反応についても説明する必要があるが、それもまた明確になったわけではないから、説明する親としては悩ましい。

 こうした事実を総合的に判断するなら、接種するかどうかは、家庭の選択に委ねられるべきもので、接種しないことの「暴力性」を説くのは乱暴すぎはしないか。佐倉の論考は、家庭の教育権あるいは選択権という観点が重要視されない日本社会の特異性を映し出している。(敬称略)

 編集委員 森田 清策