少子化対策と「事実婚」、宗教的背景から離婚困難な仏

出生率アップより法律婚廃れる

 昨年一年間に生まれた子供の数は、前年よりも6000人減って、103万1000人だった。3年連続の最少記録である。出生数が死亡数より少ないことで起きる人口の自然減は24万4000人で、こちらは過去最多だった。

 生まれる子供の数が6000人減った、人口が24万人減ったと言っても、人口減少の危機的状況は実感として伝わらないかもしれない。しかし、今から65年前の1949年、第一次ベビーブーム中の最高出生数270万人と比べれば、現在生まれる子供数の激減ぶりが分かろうというものだ。

 しかも、これで下げ止まるというのならまだいいが、そうではなく、出生数の減少はさらに続き、50年後には年間50万人となり、100年後には25万人を下回るとの予想もある。戦後のピーク時の10分の1以下となってしまうわけだ。

 その結果、100年後の人口は、4000万人に減ってしまうという。そうなれば、日本は存亡の危機に陥ることになるのだから、少子化対策は喫緊の課題である。

 そこで最近、有識者の間に散見するのが、未婚の母への支援を充実させて、結婚していない女性でも子供を生みやすくしてはどうか、という意見だ。内閣官房参与の吉村泰典(慶應大学医学部教授)がその1人であることは先月のこの欄で紹介した。

 月刊誌「文藝春秋」2月号(「グローバリズムという妖怪」)で、歴史人口学者のエマニュエル・トッド(フランス)が、日本の出生率低下についてこんな分析を行っている。

 家族類型からすると、日本は「直系家族」に属する。このタイプは「子供に対して権威的で親子の同居率が高く、資産の世代間継承を重視し、子供の教育に対して熱心であることなどが特徴」という。そして「この家族観が出生率低下の原因の一つになっています。逆説的なことですが、家族の重視が家族を破壊している」という。要するに、「家族を重視し、その形や在り方にこだわるあまり、家族の形成を難しくしている」というのだ。

 最近、わが国でもメディアを中心に「事実婚」なる言葉が使われ出した。男女の同棲(どうせい)とどこが違うのか、概念が曖昧だが、家族の一つの形として事実婚を容認すると、本人たちが法律上、結婚していなくても「事実婚です」と言えば「夫婦」がひと組誕生することになるわけだ。それと同様に、家族の形にこだわらずに、なんでも家族にしてしまえば、家族が増えるのは当然のことだが、言葉のまやかしとも言える。

 日本の対極にある例として、トッドは出生数のうち婚外子が55%を占めるフランスを挙げている。同国は「離婚、片親による子育て、婚外子も特別なことではなく」「家族をもっと気楽にとらえているから」出生率が高いと分析している。しかし、出生率アップ策を考える上で、伝統文化も社会的背景もまったく違う日本とフランスを単純に比較することは妥当なのだろうか。

 フランスをはじめ、ノルウェー、スウェーデン、英国など生まれてくる子供のほぼ2人に1人が婚外子となっている国について、参議院議員・山谷えり子は、衆議院議員・永岡桂子との対談「全国の母よ、妻よ、怒りの声をあげよう」(「正論」2月号)で「こうした国々ではいずれも事実婚の権利を高めていったことで法律婚が廃れ、事実婚が急増していった」と指摘する。

 フランスで事実婚が多くなった社会的背景については「フランスの場合、カトリックの国だから離婚が難しい、という事情がある」と言い、永岡も「離婚ができないのはカトリックの教義ですから、離婚は法律以前に神への背信となってしまいます。日本とフランスとでは、社会的背景がまったく違うにもかかわらず、国連の勧告はそれぞれの国の事情とか伝統文化などを酌んでくれない」と述べている。

 永岡の言う「国連の勧告」とは、妻以外の女性との間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続は、法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分と定めた民法規定の撤廃を勧告したもの。この規定を「憲法違反」とした最高裁の判断を受けて、年末の臨時国会で規定を撤廃する民法改正が成立した。

 先の最高裁判断に対して、山谷は「今回の判断は国民の法律婚や家族観に良くない影響をもたらしうる問題」として、相続差別撤廃が「法律婚の尊重」が形骸化することへの危惧を訴えた。もっとも法律婚重視が少子化の一因であると考える識者にとっては、日本の家族制度が“目指すべき方向”ということになるのだろうが、事実婚が増えれば子供の数も増えると考えるのは安易すぎるのではないか。

 たとえ子供が増える可能性があったとしても、生まれてくる子供の幸福を脇に追いやった少子化対策や家族制度論議は危険である。もし、子供の幸福を考えて、法律婚と事実婚を同等に扱う制度にすれば、山谷が指摘したように、「法律婚が廃れ、事実婚が急増」ということになるだろう。伝統的な家族を保護するのか、それとも“家族の多様化”を認める欧米型を選ぶのか。それを曖昧にしたままでは、少子化対策の軸は定まらない。

 編集委員 森田 清策