川崎中1殺害、子供権利条例の弊害ないのか
どうすれば少年凶悪事件を防ぐことができるのか。
川崎市の中学1年男子生徒が多摩川の河川敷で殺害された事件は、同世代の子供を持つ親だけでなく、国民全体に波紋を広げている。
非行少年への甘い対応
少年事件では、佐世保市の15歳高1女子生徒による同級生殺害や、名古屋大学の19歳女子学生による高齢女性殺害など猟奇的犯罪も相次いでいる。
今回は単独犯でなく不良少年グループの犯行で、前兆行動が見られたのに防げなかった。それだけに事件の解明は盲点を作らず、さまざまな角度から進めていくべきだ。
気掛かりなのは、地元に複数の不良グループが存在し、その“抗争”に被害少年が巻き込まれていたと伝えられることだ。主犯格の18歳少年は飲酒・喫煙を繰り返し、これまでにも暴行事件を引き起こして保護観察処分を受けていたとされる。非行少年への対応が甘過ぎたと言うほかない。
未成年者の親には監督義務がある。加害少年の家庭環境も検証すべきだ。このことは被害少年側にも言える。厳しいようだが、何日も家に帰らず、暴行を受けた形跡があるにもかかわらず、放置し続けるのは監督義務の放棄に等しい。
事件の背景には、子供の権利や自己決定権ばかりを強調し、家族の保護や親の監督を軽視する風潮があるのではないか。こうした指摘もある。川崎市は全国に先駆けて2000年に「子供権利条例」を制定しているからだ。
同条例はわが国が1994年に批准した「子供権利条約」を受けてのものだ。条約には保護規定も多く、条文の適用や解釈は加盟国にゆだねられているが、左翼系団体はこれをもって子供を「保護の対象」から「権利の主体」へと転換させたとし、ことさら権利を主張してきた。
例えば日教組は、中高校生向けの人権テキストとして『生徒人権手帳―「生徒手帳」はもういらない』(三一書房)を推奨したが、この中には「自分の服装は自分で決める権利」「飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利」「学校に行かない権利」「『日の丸』『君が代』『元号』を拒否する権利」「自由な恋愛を楽しむ権利」「セックスするかしないかを自分で決める権利」などが羅列されている。
川崎市の条例は子供の権利として「ありのままの自分でいる権利」「自分で決める権利」「参加する権利」など七つを挙げ、親の監督義務や責任よりも子供の権利保障を強調している。
また、権利侵害からの「救済制度」として「人権オンブズパーソン条例」(01年)を制定。児童の授業中の立ち歩きを叱責した教師と校長が、この制度のために謝罪を余儀なくされた例もある。
今回の事件では、こうした権利偏重と思われる条例によって学校側が被害少年の家庭との関わりを躊躇(ちゅうちょ)していなかったか、検証する必要がある。
家族再生の視点必要
いずれの少年凶悪事件でも背景には家族問題が潜んでいる。再発防止には権利一辺倒でなく、家族再生の視点を持ちたい。
(3月9日付社説)