人格教育は実践教育 北翔大学大学院生涯学習学研究科長・教授 山谷敬三郎氏に聞く
道徳教育
凶悪犯罪の低年齢化が指摘されている。また、振り込み詐欺や陰湿ないじめなどモラルの低下、倫理観の欠如による社会犯罪も依然として多い。その一方で「孤食」や「お一人様」といった家族・地域の絆の希薄化が社会問題になっている。人間は一人で生きることはできないが、社会の中で生きるには倫理・道徳心は不可欠の要素。文部科学省は2018年度から道徳の教科化を目指すとしているが、道徳教育・人格教育の在り方について教育学が専門の北翔大学学長補佐で同大大学院生涯学習学研究科長・教授の山谷敬三郎氏に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)
希薄化する家族・地域の絆
人間関係を習得する場に
――文部科学省は2018年度(平成30年度)から、これまでの「道徳の授業」を「教科」に格上げすると言います。道徳の教科化について、どのように考えていらっしゃいますか。
道徳教育において、「道徳」が教科として学校できちんと指導するシステムがつくられるのは基本的に賛成です。これまで学校教育の中で「道徳」は「道徳の時間」を中心として全教育活動を通して指導されてきましたが、実際には各学校において温度差がありました。
一方、道徳の教科化に反対される方も少なくありません。反対理由の一つとして道徳を教科にしたとしても評価が難しいというのです。また、生徒を評価する際に、評価の方法や具体的な評価の手順が明確にされないまま導入されることで、ややもすれば「道徳」が形骸化されるという危惧を持っているのです。
ただ、文部科学省は、「道徳」の評価をこれまでのような5段階による数値的評価ではなく、子供たちの状況などについて文章記述で評価する方向性を示していますので、反対される方が持つ危惧はないと考えます。「道徳」が「道徳の教科」としての授業としてきちんと教えられる。
すなわち、人間の心の在り方、社会の在り方、人間関係など子供たちの成長に極めて重要な要素が組み込まれた道徳を教科として教えることになる。
そういう意味で私は基本的には道徳の教科化は一定の評価をしています。それからもう一つ、現在の学校が抱えている問題に対して道徳の教科化は解決に向けて大きく貢献できるのではないか、と考えています。
――それは、具体的にどのようなことなのでしょうか。
今日、子供たちが抱える課題として、コミュニケーション不足を挙げることができます。子供たちが日常生活で十分なコミュニケーションが取れているのか、ということです。家族の団欒(だんらん)の中で親子、兄弟の会話がどれだけあるでしょうか。場合によっては家族の中のコミュニケーションがテレビやゲームなどに取って代わられているのではないか、という危惧があります。
親の“思い”、すなわち大人が子供たちに伝えたい社会の常識や伝統などが良い形で伝わっていない。本来、道徳や社会的慣習などは家庭で教えるのが基本ですが、現代の日本社会を見ると誰もが認めるように、家庭が教育力を有しているとは言えない状況にあると思います。
そうした時に、学校での道徳の授業は、子供たちにコミュニケーション能力を含め、人間関係を築く力を学習する場を提供することができると思います。
少子化の時代、子供たちは塾や習い事が多い半面、遊びの質も変化してきました。昔のように地域で自然発生的に集まって一緒に遊ぶという機会も少なくなっています。本来、子供は同年齢かちょっと年齢差のある子供たちと遊ぶ中で、人間関係の在り方を自然に覚え身に付けてきました。
ところが、近年はそういうことを学ぶ機会が非常に少なくなっています。ゲームやパソコン、塾などからはそうした人間関係を学ぶことはできません。そういう観点から見ると、今後、教科としての「道徳の授業」は、子供たちが心の問題、社会的規範、人間関係の在り方をじっくり学び、子供たちに考える機会をつくることができると思います。
――道徳教育と同じ意味で使われる言葉で人格教育がありますが、両者の違いをどのように考えるとよいのでしょうか。
広い意味では、道徳教育も人格教育も基本的に同じものを目指していると考えていいと思います。ただ道徳教育については、日本が長い歴史の中で培ってきた徳目や伝統、価値観などを道徳の中で教え、継承させたいと考えている人がいる半面、上(国や政府)からの押しつけによる道徳教育は危険であると考える人が多いのも事実です。
もっとも、道徳教育に反発する人たちは戦前の「修身」教育の復活と捉えているのでしょう。しかし、「修身」そのものの基本的なものの考え方の中には、勤勉さ、親・年長者への尊敬の念など現代社会でも支持すべきものが多く含まれていることも確かです。
いずれにしても道徳教育は学校教育を通して行われるものですが、近年の様々な問題行動に対して、学校の道徳教育だけにそれを負わせるのは難しい状況にあるのも事実です。
一方、どのような政治体制や文化的背景をもっていたとしても、世界共通の価値として子供たちに教え、さらに徳としてきちんと身に付けていくべき実践教育を目指しているのが人格教育と考えています。
従って、人格教育は単に学校教育にとどまらず、家庭や地域を巻き込んだ教育として、英国や米国ではかなり前から研究がなされ実践されて成果を上げてきました。
――欧米諸国では社会の根底にキリスト教の倫理観があります。一方、日本には基軸となる宗教がないとの指摘があります。人格教育を確立するうえで精神的基盤をどのように構築すべきでしょうか。
確かに、欧米諸国での人格教育は宗教教育との結びつきが強く、それを基に教育制度がつくられてきました。米国でも一時期、麻薬の乱用や性行動の逸脱など青少年の非行・暴力問題がかなり深刻になりましたが、それを契機に人格教育が導入されました。その教育の基盤に据えたのがキリスト教でした。
一方、日本では多くの人が既存の宗教に対する信仰心は薄らいでいるように見えますが、「先祖を敬う」「年長者を尊ぶ」「自然の恵みに感謝する」あるいは「目に見えないものに崇敬の念を抱く」というような精神的風潮は個々人の中に今でも残っているように思います。
そういう意味で私は、日本人はむしろ宗教性に富んだ民族であると思っています。特定の宗教によらずとも日本人が持っている宗教的精神性を人格教育の中に取り込んでいくことは十分に可能であると考えています。
――道徳教育を含めてどのような形で人格教育を広めていくべきでしょうか。
人格教育が必要な背景には、前述しましたように子供たちも含めて人間関係の希薄化があります。家族を取り巻く人間関係が欠如し、子供と向き合う大人が減少し、それが様々な社会問題を引き起こしています。地域社会を見ればコンビニなどでお金を出せばすぐに物は手に入る便利な社会になりましたが、子供は寂しい空間の中で生きています。家族間の関係の希薄化は当然、家庭の教育力の低下を招きます。
家庭内の教育といえば単に学校の成績だけに目が行き、学校教育(知育)の補完に陥っているのではないでしょうか。一昔前には「親の背中を見て育つ」という言葉がありました。子供はやはり親を見て育ちます。従って、親子のコミュニケーションを持ちながら、子供の行動を現実世界につなげていくことが大切です。
また、子供と地域の結びつきは子供たちに自信と意欲をもたらします。人格教育にはいくつかの原則がありますが、子供たちの人格を育成していくパートナーとして家庭と地域社会の関与は不可欠で、そのためには教師と家庭、家庭と地域、さらに言えば行政や民間の教育機関・ボランティア団体なども含めた有機的な結びつきが今、人格教育に求められていると実感します。