“カンニング”社会
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
いくら模範生でも学生時代に1回ぐらいは試験の不正行為であるカンニングの記憶を持っているようだ。実力は足らないのに順位を上げて合格証をもらいたい時の選択肢は明らかだ。大学生の45%がカンニングの経験があると答えた調査結果もある。“カンニングの5道”という笑い話までよく知られている。見つかった友人を心から気の毒に思う「仁」、誰が見せてくれたのか最後まで明かさない「義」、答えを見せてくれた友人より点数が高くてはいけないという「礼」、見つかりにくい席と監督官の習性をあらかじめ見抜く「智」、答えがいくらおかしくても疑わずに書き取る「信」を守らなければならないということだ。
このような笑い話はそれだけカンニングが一般化しているという傍証だ。どれだけひどいかは、ある神学大学が「イエス様の名において、絶対にカンニングをしない」という署名をとったことだけを見ても明らかだ。カンニングは古今東西を問わず、大きな社会問題だった。朝鮮時代の科挙の試験場では、他人の文章を盗み書きする「借述借作」、トゥルマギ(韓服の外套)の中にカンニングペーパーを隠して入場する「挟書」が絶えなかった。
権勢のある両班家門の子息は実力者を4、5人連れて試験場に入り、一緒に答案を書いてその中で一番出来のいいものを提出したりもした。試験場とつながる折れ曲がった管をあらかじめ埋めておき、その中に紐(ひも)を通して問題用紙を受け取って外で答えを書いて送り返そうとして見つかったという記録も肅宗(スクジョン)実録に書かれている。近ごろの携帯電話や無線機を利用した入試不正とそっくりだ。
このごろ、大学生や会社員の不正試験が相次いでいる。韓国農漁村公社の職員は昇進試験の問題を持ち出し、同僚たちに2000万ウォンで売り飛ばした。済州大の学生は教授の問題用紙のコピーを盗撮し、延世大ロースクールの学生は期末考査の問題を取り出すためにコンピューターをハッキングしようとして摘発された。
目的のためならば手段と方法を選ばない人間が高い地位に上ると、またどれだけ不正行為を行うだろうか。試験の不正行為の蔓延(まんえん)は、反則がはびこって手続きの正義が軽視されるわれわれの社会の暗い断面を反映しているのではないだろうか。
(12月20日付)