焼酎の健康負担金


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 韓国の焼酎は長久の歴史を持つ酒だ。高麗後期に元王朝から伝来した。穀酒を煮て得た蒸留式の酒なので、露酒・火酒・汗酒とも言った。高価なぜいたく品だった。モンゴル軍の駐屯地だった安東、開城などで製造法が発達し、今もその伝統が引き継がれている。

 『朝鮮王朝実録』には焼酎による弊害の記録が少なくない。太祖(初代王の李成桂)の長男である鎮安大君・李芳雨について、「性質は酒を好み毎日たくさん飲むことを仕事にしていたが、焼酎を飲んで病気になり卒した」と書いている。朝鮮開国(1392年)の翌年のことだ。

 (第4代)世宗王の時代に吏曹判書(官吏の任命、功勲、封爵などを行う官庁の長)の許稠は「官位に就いた当初は焼酎を目にしなかったが、今はどの家にもあるので、その豪華と奢侈(しゃし)が極まり、焼酎で命を失う者が多くいる」と言って、「酒を過飲できないようにする令を下せば、命を失いかけるところまでいかないはずだ」と上奏したが、これといった措置を引き出すことができなかった。

 (第9代)成宗王は「焼酎をあがめて官府から村里に至るまで皆が飲むのが好きで、だんだん風俗になってきたので、時折過飲すると人に害を与えることがある」として、「薬として服用することを除いては、警戒して好んで飲まないようにするように」と議政府(最高の行政機関)に命じた。しかし、勧告に終わって実効を挙げることができなかった。

 朝鮮後期の実学者、洪萬選が書いた『山林経済』には“焼酎の毒”に関する記録がある。「焼酎を飲みすぎて中毒になると、顔が青く口が開かなくなり、昏迷して意識を失うようになる。酷(ひど)くなると腸が腐って横腹に穴が開き、全身が青黒くなって吐血と下血によってすぐ死んでしまう」。焼酎過飲の病症を赤裸々に表している。

 日帝の強制占領期(日本の統治時代)にアルコールを水で薄めた焼酎が出た後は、大衆的な酒になった。今は誰でも酒といえば焼酎を最初に思い浮かべる。健康保険公団が健康保険の財政を安定させるため、追加財源の確保を模索する中で、焼酎などの酒類にたばこと同じように健康増進負担金を課すことが議論されている。飲酒による社会経済的な損失が喫煙や肥満より大きいというのだから、そんな話が出るのも理解はできるが、“みみっちい増税”との批判が強いことを考えると、国民のコンセンサスを得ることは容易くないようだ。

 (9月5日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。