芒種と顕忠日


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 芒種は昔の人々が農耕の道しるべと見なしていた24節気の9番目の節気だ。漢字としては、のぎを表す芒とタネを表す種からなる。のぎはイネやムギの実の殻についている尖(とが)った毛を意味する。

 朝鮮後期の実学者、魏伯珪は『格物説』に「芒種の場合、穀物のうちでのぎがある品種はイネとムギだが、ムギはこの時期に実って種子となり、稲はこの時期に至ると苗として植えることができる」と書いている。実ったムギを刈り取って収穫し、稲作のために苗を植える時期なのだ。1年のうちで農作業で一番忙しい時期だ。「足の甲に小便をする」という言葉が生まれるくらいだから、どれだけ忙しいか分かるというものだ。

 飢えに耐えながら4、5月の端境期(春窮期)を越えてきた農民たちが安堵(あんど)のため息をつく時でもある。湖南(今の全羅道)・忠清地域では芒種の頃に、十分実っていないムギを刈り取って火にあぶって食べる風習がある。そうすると、翌年の麦作が豊作となり、その年の麦飯もおいしく食べられるという。ムギをあぶった後、夜露に晒(さら)して翌日食べると、その年は病気にかからずに過ごせるという俗説もある。

 1444年に天文学者の李純之などが編纂(へんさん)した暦書『七政算内篇』には節気と関連し、芒種の項目に「カマキリが現れて、モズが鳴き始め、ツグミが鳴き止む」と書いている。その年、世宗王は民に対し農業に力を入れることを勧める『勧農教書』で、「人力に余裕がなくて全てをいち早く植えることができなくても、この時までにさえ植えれば、むしろ秋に穀物がよく実る希望があるということ」だと述べている。

 さらに、「風土に適合したものを広く聞いてみて、農書に書かれたことを考慮しながら、予(あらかじ)め措置をして早すぎたり遅すぎたりすることがないように」と念を押している。農作業で時をどれだけ重視していたかが分かる。

 今年の芒種は顕忠日(殉国将兵・烈士の忠誠を記念する祝日)と同じ日だ。芒種は顕忠日と関連がある。1956年の芒種の日だった6月6日、6・25戦争(韓国動乱)犠牲者の追慕祭を行い、この日を顕忠記念日に指定し、1975年にこれを顕忠日と改称した。芒種はムギが実り、田植えを行うのにいい節気なので、農耕社会では昔からこの日に(先祖に対する)祭祀(さいし)を行う風習があったのだという。緑陰が濃くなり、生命力が充満する節気を迎え、殉国烈士の護国精神を顧みる機会としたいものだ。

 (6月5日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。