読書の季節
朝夕にもの寂しい秋風が吹いている。暑くもなく寒くもない今時分を“読書の季節”と呼ぶ。「秋は読書にいい」という言葉は昔からあった。よく知られた「燈火可親」(灯火親しむべし)という故事成語は唐の思想家、韓兪が息子に読書を勧めるために作って送った詩に出てくる。(1919年に発表された3・1独立宣言書に署名した33人の民族代表のうち仏教系を代表した)萬海・韓龍雲(萬海は号)先生も『秋は読書の季節』という文章を通して、「自然環境と人の体と心のリズムを計算すると、秋が読書に最も適当な時期」だと言った。
近頃のような概念の“読書の季節”が通用し始めたのはそんなに昔のことではない。日帝(日本統治)時代の1922年9月に発行された総合雑誌『開闢』27号で、天道教の思想家、李敦化は『真理の体験』という論説を通じて、「初秋の冷涼な気が村の野原や丘に入ってきたので、努めて燈火親しむべき時が来た。学校は開学し学徒は本を開ける時が来た」と言いながら、読書を勧めている。
“読書の月”は1994年から始まった。政府が図書館および読書振興法とその施行令に従って、同年から9月を読書の月と定めて読書キャンペーンを展開してきた。何かの日を決めて強調していることを見ると、現実はその反対である場合が多い。わが国民は秋に本を読むのが一番少ないのだという。
国立中央図書館が昨年、全国の公共図書館の貸出データを分析したところ、貸出冊数が少ない月は9月、11月、10月の順だった。逆にそれが多い月は1月と8月だった。書店街の図書販売量も“読書の月”にガクンと落ち込むという。読書の季節は、本を多く読むから生まれたのではなくて、本を読もうという趣旨で作られたというわけだ。
(半島南部の慶尚道と全羅道を分ける)蟾津江(ソムジンガン)を背景にした作品が多い詩人、金龍澤は先日、「2017大韓民国読書大典」の講演で、「本はまともに戦う技術を教えてくれる」と述べた。「新しい世界に進む力を育ててくれるのが読書」だとも語った。本のマニアたちはよく、本のない生活を一度も考えたことがないという。が、こんな読書の礼賛はだんだん力を失いつつある。近頃多くの人たちが携帯電話のない瞬間は想像できないと告白する。いつの間にか本を読む姿は消え去って、携帯電話だけを覗き見る地下鉄の風俗図となった。残念なことだ。
(9月11日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。