河回仮面の帰郷
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
仮面劇は人が仮面をかぶって他の人物や動物、超自然的な存在などに扮装(ふんそう)して踊り、歌い、セリフを交わす歌舞劇だ。庶民の生活経験を劇にして、特権階層に対する鋭い風刺と形式的な倫理に対する批判精神をさらけ出して生活に活力を与える役割を果たす。画家の金炳宗(キムビョンジョン)氏は著書『画帳紀行』において、(慶尚北道)安東(アンドン)市の河回(ファフェ)マウル(部落・村)で行われるシャーマニズムの儀式(別神(ビョルシン)クッ)の時に演じられる仮面劇について「民の興趣と藝の精神が溶け込んでいる身振り」であり「遊び文化の総体」だと激賞している。
美術史学者の故崔淳(チェスンウ)雨氏は著書『(浮石寺)無量壽殿のふくらんだ柱にもたれて』において、「仮面には部落の人々の長い間の願いと憂い、うっ憤と諧謔(かいぎゃく)が一緒に重なり合った妙な笑いの跡が染みついている」と語った。彼は河回の別神クッ仮面劇で使われる両班の仮面の“善良な目笑”に注目した。「万事にのんきな韓国人の性情が揶揄(やゆ)されるこの両班の仮面の形にもよく反映されている」というのだ。
おどけた微笑(ほほえ)みが表された河回仮面は“韓国人の顔”をうまく表現していると評価されている。わが国の仮面の中で最も古い文化遺産だ。高麗中期に作られたという。当時、災難が絶えなかった河回マウルで未婚男子の許さんが夢に出てきた神霊の啓示を受けて仮面作りを始めたが、彼を恋慕する乙女が禁忌を破って作業する姿を覗(のぞ)き見たため彼は吐血して死んでしまい、最後の「士人の下僕」の仮面はあごのない仮面になってしまったという伝説がある。マウルの安寧を祈願する洞祭で仮面劇を行う時に使われていた河回仮面は河回マウルに伝わってきたが、1964年に国宝に指定された後は国立中央博物館が保管してきた。
元来、劇の中の役割に従って14種存在していたが、両班、士人、白丁、妻、両班の下僕、士人の下僕、妓生、僧、老女、想像の動物(雄雌各1)の面だけ残っている。河回マウルに隣接した屏山(ビョンサン)マウルに伝わる大監(官吏)の仮面と両班の仮面を屏山仮面というが、河回仮面と屏山仮面を合わせた13点が国宝第121号だ。9月27日から12月11日まで、安東市立民俗博物館に展示される。河回仮面が全て地方で展示されるのは今度が初めてだ。河回マウルの人々は河回仮面を村を守る神聖な宝物だと思ってきたという。52年ぶりの帰郷なので、その意味は大きい。
(8月27日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。