世運商街
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
韓国で最初の複合用途建築物団地として1968年に造成された世運商街が大変身を試みる。世運商街はウォーカーヒル、ソウル五輪メインスタジアム、瑞草洞のソウル高裁・地裁庁舎を設計した建築家、金壽根氏の作品だ。宗廟の前から筆洞まで1㌔㍍に達する広い道路に複合建築物8棟(現在7棟)が並んだ。
元来、この地域は日本統治時代に爆撃による火災の延焼を防ぐため建物を壊して作った幅約50㍍ほどの空き地だった。韓国動乱後に避難民たちが掘っ立て小屋を建てて住み始めたが、生活苦の女性たちが集まって売春街が生まれた。彼女たちが最初の主人だが、作家、崔一男の小説『ソウルの肖像』の舞台にもなった。
当時の金玄玉ソウル市長は売春街を追放するため“チョウ作戦”を展開した。“花”を求めて訪れる“チョウ”を追い出すため、韓国電力の職員を動員して路地に街灯をつけて夜道を照らした。ソウル市は都市再整備事業を行い、無許可の建物を壊して道路を造ろうとしたが、居住者たちの抗議に遭うと道路とマンションを同時に建設する妙案を実行した。建物をつなぐ歩行者専用デッキを3階に設置したのだ。
「世の中の機運が全て集まる」の略語である「世運」商街マンションはタレント、大学教授、高級公務員などいわゆる“力のある人々”の人気1位の居住地だった。商店街の開店直後は工業製品の値段が高く暴利をむさぼっているとの指摘を受けた。国内唯一の電子製品の総合商店街という名声を得て、1980年代には学生たちがミサイルと戦車も造れると噂したほどだ。外国の成人向け書籍と禁止曲のレコードも買うことができた。
1970年代以降、江南地域の開発が本格化して電子産業のメッカという名声が衰退し始め、1987年に龍山電子商街が誕生し、家電製品のトップ商店街の座を奪われた。その後、中国産の廉価製品が押し寄せて価格競争力まで失った。スラム化すると2008年、呉世勲ソウル市長は15年までに緑地帯を造成することにした。当時、現代商街の建物1棟が撤去されたが、市長が代わり残る建物をリモデリング保全することになった。
世運商街では近頃、若い創作芸術家たちが活動している。低廉な賃貸料のためだ。昨年は公演と展示会などの文化行事が開かれた。ソウル市はここにスタットアップ空間を整備し、公園広場を造成する計画を昨日発表した。19年に生まれ変わる世運商街の主人には誰がなるのだろうか。
(1月29日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。