授賞式の価値


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 与える人もうれしく、もらう人はいっそううれしいのが賞だ。「秀でた業績や善良な行為を称賛するために与える証書や金銭や価値ある物品」である賞は、受賞者をいっそう奮い立たせる。小学校の卒業式の日、幼い子供たちは「教育長賞」や「学校長賞」ではなくても、「6年皆勤賞」や「精勤賞」をもらって父母と誇らしそうに写真を撮って思い出を刻む。韓国動乱の時、戦功を立てた兵士に缶詰の缶のふたで大ざっぱに作った“缶の勲章”を授与すると、兵士たちはいっそう命懸けで戦ったものだという、ある退役将軍の回顧録も胸にじんとくる。クジラも踊らせるという称賛、賞の肯定的な効果だ。

 しかし賞を乱発したり、受賞者の選定を間違ったりすると後遺症は大きい。教育部(部は省に相当)は最近、中・高校の校内賞の乱発制止に乗り出した。放送各社の芸能大賞の授賞式は、受賞者だけが参加するお祭りに転落して久しい。引き立て役になることを拒否する非受賞者たちが集団的に欠席するのが常だ。授賞基準が厳格でなく、審査の点数を計量化することもできないので、毎年繰り返される年末の“ハプニング”だ。「賞」の字を破字(分解)すると「尚」と「貝」になる。「貝」はお金や財物を意味するので理解できるが、「尚」の字の意味は複雑だ。尚は「高める」という意味もあるが、「むしろ(なお)」という意味でも多く使われる。「むしろ(なお)」は、「一般的な基準や予想、推量、期待とは反対になったり」、あるいは「そのぐらいなら、かえって…」という意味だ。漢字を作った古代人たちも賞と関連したスキャンダルを既に知っていたのではないか。

 年末になると、各種の会合と共にありとあらゆる受賞のニュースが溢れ出る。各学校同窓会の送年会での「誇らしい…同窓人賞」をはじめとし、「誇らしい地方自治体首長賞」「今年のスポーツマン賞」「今年の出版人賞」など、種類も多く分野も広い。受賞を祝ってあげるのが当然だが、当惑することも少なくない。いろいろな気配りの結果だとか、うまく分配された、裏取引などのよくない話が出てくるためだ。

 賞を与える代価として巨額の雑誌広告の取引を要求して非難された某団体の役人に授賞基準を尋ねると「取引と気配り!」だと果敢に語ったと聞いたことがある。実際、その団体はある記者が賞の裏取引疑惑を取材し始めると、その新聞社の幹部に賞を授与して報道を挫折させた。有名な国際機構の名前を取ったある団体は「1年間の運営費を出せば賞を授与する」と露骨に客引きめいたことを行った。このくらいになると、もう賞ではない。

(12月8日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。