中産層の危機


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 米国のあるメディアは数年前、中産層を「所得は暮らしていくには十分であり、退勤途中にピザを1枚買ったり、映画・演劇を観(み)たり、国際電話をかけるためにカネを使う時に、何も考えずに使える人」だと描写した。余裕があるが、経済的な条件を見ながら、そしてやたらにカネを使わない人だと言いたいようだ。

 高所得層、中産層、低所得層。所得で階層を区分する多様な基準があるが、主観的な判断を物差しにすることもある。一定の所得があって文化生活を楽しんでこそ中産層入りできるという尺度もあれば、現在の所得は足らなくても来るべき未来が明るければ中産層に編入させる尺度もある。

 心理的な要因が作用するとはいうが、自分の位置がどのくらいかを知ることは重要だ。国内のある研究院が最近、成人男女817人を対象に調査した経済報告書によると、中産層は月平均515万ウォン(約51・2万円)の所得で、専有面積35坪、3億7000万ウォン程度の住宅を所有し、これを含む純財産が6億6000万ウォンになるべきだと答えた。回答者は月収のうち341万ウォンをマンションの管理費、私教育費などの生活費として支出し、月に4回外食をして、一度に12万3000ウォンの外食費を使う程度の状態を中産層だと答えた。

 中産層はよく国家経済の支柱だといわれる。その国の経済の中心軸である生産と消費を支え、階層間の緩衝役も果たすためだ。一昨日、国会の予算政策処が発行した季刊誌『予算春秋』によると、中産層の高所得層への移動より低所得層への転落が続いているという。1990年代の初めに76%を前後していた中産層の比率が今は67・7%まで減少したという。

 97年の金融為替危機当時も、わが国は全世帯の70~80%が中産層だと考えていたが、これと比べると深刻な水準だ。住宅費、私教育費に加え雇用の不安、老後の不安まで重なり、中産層としての生活の質や余裕を保持できない人が増えているという証拠だ。米国と“中産層強国”と呼ばれる日本も同じような趨勢(すうせい)だ。

 中産層が危機を迎えているわけだ。これが続くと「どぶから龍が生まれる(トンビが鷹を生むの意)」という言葉が各種の辞典から完全に消え去るかもしれない。中産層が崩壊した社会は決して安定した社会とはいえない。誰であっても人間なら今日より明日はもっといい暮らしができることを期待する。人間にとって、明日は希望そのものであるわけだ。そうだとすれば、私は中産層だろうか。

 (7月29日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。