参戦手当


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

初代主席ホーチミン(サムネイル画像:Wikipediaより)

 

 「お前たち(米軍と南ベトナム軍、韓国軍)がわが方の軍人10人を殺す時、われわれ(北ベトナム軍)はお前たち側の1人を殺すが、結局、へたばるのはお前たちだ」

 ベトナムの国父であり初代主席ホーチミンの言葉だ。戦争勝利への自信がにじみ出ている。彼の言葉通り、ベトナムは分断20年ぶりに共産主義体制の北ベトナム主導で統一を成し遂げた。遠く離れた異郷の戦線には韓国軍がいた。1973年に撤収する時まで8年8カ月間、約32万5000人が派兵され、北ベトナム軍と戦闘した。

 彼らは貧しい祖国を経済大国にするために貢献したという自負心に満ちあふれている。それもそのはずで、米国が支給したベトナム派兵韓国軍の参戦手当は(ソウルと釜山を結ぶ)京釜高速道路の建設、第1・第2次経済開発成功の呼び水になった。両国が1966年に結んだブラウン覚書に従って参戦手当の10%だけ兵士たちに支給されたために可能になった。

 先進国になった韓国は今こそ彼らの犠牲に報いなければならない。「戦闘手当全額を還付しろ」という彼らの要求は正当だ。参戦勇士たちを礼遇せずに冷遇するなら国が危うい時に誰が命を懸けて立ち上がるだろうか。

 野党「国民の力」の張基杓(金海乙)党員協議会委員長(支部長)は1966年ソウル大法学部に入学し、翌年陸軍に志願入隊してベトナム戦に参戦した。「休暇をもらってソウルで趙英来(弁護士)をはじめとする友人たちと会食したが、皆が私のベトナム参戦に反対した。名分なき戦争であり、死ぬかもしれないのに、どうして犬死するのかというのだ。お金を使って抜ける場合が多かったが、国家政策として決定された以上、従わなければならないと考えた」。

 軍除隊後、学生運動に投身した張委員長は71年、ソウル大生内乱陰謀事件などに連座して5回収監され、9年間獄中生活をした。国家報勲処(庁に相当)が張委員長に2010年2月から10年間、毎月30万ウォンずつ支給していた参戦手当を今年2月に中断し、論議が起こっている。「民主化運動関連の前科があり、支給できない」と言うが、納得し難い詭弁(きべん)だ。民主化運動の前歴は進歩陣営で一種の勲章のように思われている。金大中政権で制定された補償法により補償金までたっぷりもらった。張委員長が政府寄りでもこんなに冷遇するだろうか。報勲も政治の傾向によって差別する珍しい国になっている。

 (8月13日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

(サムネイル画像:Wikipediaより)