黄金仮面の出土


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 歴史はミステリーだらけだ。「夷」はそのうちの一つだ。夷とは何か。オランケ(蛮族)を意味すると言われるが、中国人が東方の種族をオランケと蔑視して付けた名前だろうか。そうではない。『後漢書』東夷列伝の冒頭にはこのような文章が出てくる。

 「(礼記)王制偏に『東方を夷と言う』との記載がある。夷は柢(根本)である。仁(善良)であり生を好み、万物は地にしっかり根をはって出るという。だから天性は柔順で、道理で御し易い。君子国、不死国があると言われるに至る。夷には九種があり、…、孔子は九夷に住みたいと希望した」

 後漢書は南北朝時代に宋の范曄が編纂(へんさん)した史書だ。「夷」にオランケという訓を付けたのは誰か。朝鮮だ。癸酉靖難(1453年、幼い第6代国王端宗の側近を殺害して政権を奪取した宮廷クーデター)を起こした世祖(当時は首陽大君)に反旗を翻した豆満江流域とその北側の女真部族のオルリャンハプ(兀良哈)。その漢字を中国の発音で読むとウリャンハ、すなわちオランケだ。朝鮮の知識人が自身の種族名にオランケという訓を付けたので、こんな出鱈目(でたらめ)もない。清の『説文解字』は「東方の人」とだけ説明している。

 後漢書であれほど称賛していた異族が野蛮な種族でないのは明らかだ。彼らの基盤はどこだろうか。「それは太陽が昇るところ」だと言っている。どこを指すのだろうか。内モンゴル自治区の赤峰を中心とした遼西地域に燦然(さんぜん)とした文明の痕跡が発掘されつつある。それは“弘山文化”だ。発掘地域は遼河まで続いている。中国は詳細な発掘成果を公開していない。古代東夷の本拠地だともいわれる。

 中国四川省広漢市の三星堆で約3000年前の黄金仮面が発掘された。祭祀(さいし)坑と名付けられた遺跡6基を発掘する中で出土した。青銅器・玉器・象牙など500点以上も出てきた。そこはチベット高原に通じる要所だ。

 中国考古学会が大騒ぎになった。そこは古代歴史に登場しない、未開地域に分類された場所であるためだ。春秋戦国時代の数多くの書籍にも登場しない。黄金仮面を細工した技術は黄河流域を凌駕(りょうが)すると言われている。未知の古代文明がそこにあったという意味だ。

 「歴史を書き換えなければならないかもしれない」という。そこだけを書き換えなければならないのか。東夷の歴史も同じだ。

 (3月23日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。