復元された水仁線


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 「いつもぐらつくちびっこ列車の大きさは普通の汽車の半分ぐらいだ。通路をはさんで互いに向かい合って座るようになっているけれど、向かい側の人の息遣いが互いに感じられるといっても誇張ではない。これがすなわち、水原(スウォン)と仁川(インチョン)間を行き来する水仁(スイン)線の狭軌列車だ」

 作家・尹厚明が1992年に発表した長編『狭軌列車』の一節だ。80年代を背景にしたこの小説は、貝を採って仁川に売りに行っていた漁民たちの苦しい生活と、蘇来(ソレ)鉄橋付近の漁村の風景を描写している。

 水仁線の狭軌列車はいろいろな文学作品に登場する。朴景利の小説『土地』の中で水仁線の風景について「なんとなく地球の果てを小さな汽車が走っているような感じがする」と述べている。詩人のハン・チャンウォンは詩集『狭軌列車が乗せていった一日』で、狭軌列車がけむりをまき散らして通り過ぎた後、薪を頭に載せてくる母の姿を思い出した。

 詩人のイ・カリムも『私の心の狭軌列車』で、「出発するや否や/取り戻すことのできない泥に/埋もれてしまう/私の無邪気な狭軌列車/今日も/コノテガシワに囲まれた/停車場から/1両いっぱいに懐かしさを乗せて/旅立つ」と吟じている。

 水仁線は京畿道の利川(イーチョン)や驪州(ヨジュ)で採れるコメと仁川・蘇来塩田で生産された塩を仁川港に載せて運ぶために、日帝(戦前の日本)によって1937年に開通した。列車のレール間隔は762㍉で、国際標準軌道(1435㍉)の半分にすぎない。72年の水驪線(水原―驪州)廃線後には国内唯一の狭軌列車として95年まで運行された。仁川と水原の間の都市化が進み、代替交通手段が開発されて利用価値が失われた。

 向かい合って座ると互いに膝が触れるくらいのこのちびっこ列車は58年間、京畿道西南部の住民の人生と哀歓を載せて走った。思い出となつかしさを呼び起こすその水仁線は今日全区間が開通し、私たちの前に戻ってくる。水仁線の最後の区間である水原~漢大前(ハンデアプ)(19・9㌔)区間が連結されるのだ。水仁線が完全に復元されたのは、73年に南仁川~松島(ソンド)区間が廃線になってから47年ぶりだ。今度は昔の蒸気やディーゼル機関車ではなく、最先端の複線電気鉄道が標準軌道を走る。新型コロナウイルスが鎮まれば、水仁線の列車に身を載せて週末に出掛けてみてもよさそうだ。

 (9月12日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。