老兵 金寛鎮


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 節斎・金宗瑞(節斎は号)は文臣だったが、彼の生涯は武臣としていっそう光を放っている。朝鮮王室には“祖宗の地”だった咸鏡道に六鎮(北方の女真族に備え豆満江下流南岸に設置した六つの国防要衝地)を置いた世宗(朝鮮第4代王)。その中心には、咸吉道兵馬都節制使だった金宗瑞がいた。「馬にうまく乗れない」という讒訴まで受けた彼は7年の風霜を乗り越えてそこを朝鮮の領土にした。
 彼の生涯でいっそう輝いた時は、(第5代王の)文宗時代になってからだ。モンゴルを平定したオイラト勢力。世宗の末年には北京西北の土木堡で明の軍隊を大破して皇帝を捕虜とし、文宗の時代にはその勢力が遼河まで広がった。第2のモンゴル惨禍に震えていた朝鮮。その時、“66歳の老臣”金宗瑞は平安道都体察使として最前線に赴いた。

 「老兵は死なず、ただ消えるのみ」。ダグラス・マッカーサー将軍が残した言葉だ。金宗瑞こそが歴史に残るそんな老兵だ。

 金寛鎮元国家安全保障室長。1972年に少尉として任官して以降、47年間、国を守る仕事ばかりを行ってきた人物だ。盧武鉉政権では合同参謀議長、李明博・朴槿恵政権では国防長官・国家安全保障室長として。彼は北朝鮮が恐れた国防の要だった。

 北朝鮮の延坪島砲撃直後の2010年末、国防長官就任時にはこんなことを語った。「戦争を願わないが、恐れもしない」「撃つか撃つまいか悩まずに、まず措置せよ」。北朝鮮は彼を「特等好戦狂」と非難したが、“戦争遊び”は下火になった。

 6・25動乱(朝鮮戦争)70周年を迎えた25日、彼が国軍サイバー司令部の政治工作事件の控訴審で最終陳述を行った。「私は政治的中立を口癖のように強調した。しかし、サイバー司令部問題の責任も終局的に私にあることを否認しない」。続く所信発言はいっそう注目された。「戦争を忘れた軍隊は存在価値がない。平和は強い力によって守られる。訓練し、また訓練することを願う」。最後に必ず残さなければならない言葉だと考えたようだ。なぜか。

 北朝鮮の挑発に口をつむる青瓦台(大統領府)、F35Aステルス機とグローバルホーク無人偵察機を導入しても公表しない国防部、反米団体がTHAADミサイル)基地に向かう道を塞(ふさ)いでも手をこまねいてばかりいる政府…。崩れゆく安保の壁が心配だったのか。

 彼は70歳の老兵だ。60万国軍は彼の言葉をどう感じているだろうか。

 (6月27日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。