遅刻寒波


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 「初雪が降った今/だんだん空っぽになっていく/私の心にぼたん雪が積もるように/君が積もっていた」

 詩人イ・ジョンハの『初雪』だ。ぼたん雪のロマンが漂っている。

 そんな冬だけがあるだろうか。違う。苦痛がこもった風景もある。冬になれば“苦痛の海”に変わる代表的な場所が監獄だ。昔も今も同じだ。(朝鮮第5代王の)文宗2年、1452年冬、議政府から王に上げた文に「罪人たちが厳しい寒さと病気で、あるいは飢え凍えて、非命に倒れており、こんな哀れで不憫なことはございません。獄吏がろくに面倒をみておらず…」とある。冬になれば「獄舎をきちんと世話するように」という王命が下り、罪人が凍死でもすれば、官吏を罷免までした。

 今度の冬の景色は違う。ロマンのない冬だ。雪が降らないので、江原道の山間地域を除いて雪を見ることすら難しい。寒くもなかった。気温は先月末まで平年より3度ほど高かった。

 門前に「立春大吉 建陽多慶」と書いた紙を貼り付けた日、寒波は始まった。全国は零下圏に入り、冷凍庫のように変わった。昨日のソウルの最低気温は零下11・3度。大関嶺(ソウルから太白山脈の東側=嶺東地方へ向かう関門となる峠、雪と寒さで有名)は零下22・8度まで下がった。つららが下がり、つぼみをほころばせる準備をしていた紅梅は縮みあがった。「大寒が“立春の家”に行って凍え死ぬ」という言葉が出るような状況だ。立春の寒さはあらゆるものを変えてしまった。

 恨めしそうなまなざしでこんな冬を眺める人々はどこにでもいる。冬の商売を台無しにした服屋の主人たち。暖かい気候でロングコート1着もろくに売れなかった彼らは胸にたまった恨みを吐き出す。「どうして今頃寒くなるのか」と。店の前に山のように積まれた冬服にはバーゲンセールの値札が付いている。冬の氷祭りが吹っ飛んだ地方自治体、客の足が途絶えたスキー場など、冬場の商いで1年間持ちこたえる地域経済はため息ばかり聞こえてくる。彼らにとっても、遅刻寒波は恨めしいだけだ。

 心配はまだある。新型コロナウイルス感染症(武漢肺炎)は寒波に乗って一層拡散するのではないだろうか。2000年~03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスが拡散した時期も他ならぬ冬だ。あれこれと心配ばかりが募る恨めしい遅刻寒波だ。

 (2月7日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。