誰がラテ、コンデか


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 「ラテヌン マリヤ…」(ラテは馬だ)。略して“ラテ”と言い、英語では“Latte is horse”と言う。「ナテヌン マリヤ…」(俺の時はなあ…)と言いながら、訓示する既成世代を揶揄する言葉だ。“コンデ”も同じような言葉だ。国語辞典には「老人・教師を指す隠語」と書いている。昔は主に教師を指す言葉だったが、今は職場の上司を含む(権威主義的で古い慣習を強要する)年配者全般に使っている。

 なぜこのような言葉が生まれたのか。世代間対立の所産だ。下部構造(経済関係)が上部構造(意識・文化)を決定するというカール・マルクスの言葉ではなくても、意識が環境の影響を受けるということは誰もが知っている事実だ。社会と文明の発展、それは世代間対立を生む源泉だ。

 今だけそうなのか。紀元前1700年ごろ、メソポタミア文明を起こしたシュメール人の粘土板には小言がぎっしり並んでいるという。「もっと大人になれよ」、「どうしてそんなに無作法なんだ」、「どうして先生を尊敬しないのか」…。子供たちはどう思っただろうか。

 今の世代間対立はその時よりはるかに深刻だ。光速で発展する技術のためだ。第4次産業革命の渦中で生活と文明の形態はすっかり変わってしまいそうだ。スマートフォンとインターネット・バンキングを使いこなせなければ、“石器時代の人間”扱いを受ける。変化についていけない意識と行動。温故而知新、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」という孔子の言葉すら入り込む隙がないようだ。孔子が今日に生まれたなら、ラテとコンデの表象のように思われるのではないだろうか。新年のある世論調査では6割ほどが「世代間対立が深刻だ」と答えている。10代20代だけに尋ねたら、その比率はどうなるだろうか。はるかに高まることは言わずと知れたことだ。

 ラテとコンデは政治用語としても使われる。相手に対して墨刑(額に入れ墨をする刑罰)のような烙印を押す用途として使われる。1年以上、海外で過ごして、政界復帰を宣言した安哲秀前国会議員。こんなことを語った。「第1野党が守旧・既得権・コンデのイメージに縛られている」。安氏自身はどうか。また、“86世代”(1960年代に生まれ80年代に学生運動をした世代)の政治家たちはどうなのか。若者たちに聞いたら何と答えるだろうか。80年代の“旬を過ぎた”理念にとらわれる彼らこそラテ、コンデではないだろうか。

(1月7日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。