大阪ダブル選を批判する朝日・毎日の狙いは維新潰し・改憲潰しに
◆堺屋氏の大阪改革熱
2月に亡くなった評論家の堺屋太一さんの本名は、池口小太郎という。先祖が安土桃山時代に堺から大坂の谷町に移住した際、「堺屋太一」を名乗ったので、それをペンネームとした。堺は住民自治の都市国家、谷町は太閤さんの時代に飛翔(ひしょう)した。そんな血が騒ぐのだろう、堺屋さんの「大阪改革熱」は尋常ではなかった。それが大阪都構想だろう。
この構想は戦後、府と市の二重行政を解消する改革論としてあった。大阪万博(1970年)以前には知事に左藤義詮、市長に中馬馨という“大物”がいて張り合ったが、71年に黒田了一革新知事が登場すると、保革の抗争が改革論に取って代わり、二重行政解消論は沙汰止(や)みとなった。
爾来(じらい)、大阪なかんずく大阪市は「守旧」と化した。中馬時代に市職労の「ぬるま湯」を許し、市議会議員は「府議より偉い」と言い放つようになった。筆者は中曽根時代の税制改革に関わり、「売上税」説明会で各地を巡ったことがあるが、大阪市議会の「抵抗勢力」ぶりは凄(すさ)まじく、自民党市議から「そんなの選挙に落ちるわ」と罵声を浴びた。そんな「守旧」の大阪自民党は低迷し続け、中選挙区でも複数当選が難しく、小選挙区制では公明頼りに陥った。
地方自治改革に再び火が付いたのは冷戦終焉(しゅうえん)後だ。堺屋さんらが道州制を唱え、地方自治改革を盛んに訴えた。だが、「平成の長いトンネル」に阻まれ、改革論は下火となった。そこに登場したのが橋下徹氏の「維新の会」だ。自民党に飽き足らない保守層をつかみ、維新ブームを起こした。堺屋さんと橋下氏の「大阪改革熱」が凝縮したのが大阪都構想だったが、2015年5月の住民投票では僅差で否決された。
◆「都構想実現」の大義
その都構想をめぐって松井一郎知事と吉村洋文市長がそろって辞任し、入れ替わりで出馬するダブル選を仕掛け、リベンジを図るという。これに対して新聞では批判論が大勢を占める。それを牽引(けんいん)しているのが朝日と毎日の左派紙だ。
昨年12月に松井知事が公明党の“背信”を暴露してダブル選の可能性をほのめかすと、毎日はすかさず「首長選挙の乱用に等しい」(同27日付)、朝日は「そうかいな、といかぬ」(同29日付)との社説を掲げ、維新を批判。3月にダブル選が決まると、毎日は「大阪知事・市長の策略 地方自治への二重の背信」(5日付)、朝日は「住民不在の党利党略だ」(9日付)と、「策略」「背信」「党利党略」のレッテルを貼った。
確かに策略に違いないが、地方自治制度への背信とは言えまい。毎日は「首長と議員がともに直接選挙で選ばれる二元代表制で設計されている。都構想について議会の了解が得られないのなら、議会との話し合いで妥協点を探るのが首長の任務のはずだ」とするが、その妥協点を見いだせず、行き詰まっている。
このままでは都構想は露と消えかねない。それならいっそ信を問う。政治にそういう選択があってもしかるべきだ。府・市議会議員選挙も同時に行われるのだから、逆に分かりやすい。朝日は「党利党略」という。選挙が単なる党派の利益のためなら、その謗(そし)りも免れないが、今回のダブル選は維新にとって都構想実現という大義を持つ。負ければ維新は消える。
だから左派紙にとって都構想はどうでもいいのだ。狙いは維新潰(つぶ)し、改憲潰しだ。維新は2月の党大会で改憲論議を主導する姿勢を鮮明にした。それをよろしく思わない左派紙はここぞとばかりに維新を攻撃している。
◆改革論議は棚上げに
それにもかかわらず、読売は「奇策で都構想は前進するのか」(9日付社説)と左派紙に同調し、産経は「醜いけんかはこれ以上見たくない。有権者のための真に建設的な議論がなければ、意義を見いだせない選挙である」(9日付主張)と泣きを入れる。読・産とも大局を見失っている感がする。
本紙は「大阪市廃止による行政改革は大きなテーマであり、与野党は賛成か反対かではなく、二重行政の無駄をなくす選挙公約で競い合うべきだ」(14日付社説)と正論を張る。だが、なにせ自民党と共産党が共闘する改革論議棚上げの「反維新」包囲網だ。堺屋さんはあの世で「ほんまに、けったいやな」と嘆いているに違いない。
(増 記代司)