LGBT運動の到着点 脱規範化で家族解体
同性婚だけでなく「複数婚」も
毎年、年末になると、社会、政治、経済、国際情勢などの各分野で、日本の未来を左右するテーマについて解説する出版物が書店に並ぶ。例えば、今年は「2019年日本はこうなる」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)、「徹底予測2019」(日経ビジネス)などだ。
その一つに「文藝春秋オピニオン 2019年の論点」(文藝春秋)がある。その「社会」の項目に、筆者が注目した論考がある。文筆家のきのコ(ペンネーム)の「ポリアモリーという生き方 浮気・不倫とは異なる『非一夫一婦制』」だ。
このタイトルだけでは、LGBT(性的少数者)に強い関心を持ってリサーチしている人間でないと、論考が何を言わんとするものか、理解できないかもしれない。逆に、ポリアモリーが日本の未来を左右する論点の一つとして登場することに、現在、日本に広がるLGBTブームの根本問題を見て取る人間は、LGBT運動の本質を理解していると言えるだろう。
ポリアモリーについては、筆者が本紙「メディアウォッチ」欄でも取り上げたことがあるが、ここではきのコの説明を引用する。それによると、「全ての関係者の合意のもとで、複数のパートナーと同時に性愛関係を結ぶこと」。この言葉は、1990年代の米国で登場し、現在、米国に約50万人の当事者がいると言われている。
きのコ自身も当事者であると同時に、オープンリレーションシップ、つまり「パートナーシップ外での性的な関係を認め合うこと」の実践者でもある。そして、わが国でも「いくつかのポリアモリーに関する交流会が開催されている」という。
そんな解説を聞いても、初めてポリアモリーという言葉を知った読者は浮気や不倫、あるいは乱交と何が違うのかとの疑問を持つのではないか。それについては「全ての関係者の合意のもとでパートナーシップを結ぶ点や、嘘のない関係性である点が、浮気や不倫との違い」と、きのコは説明している。
現在のLGBT運動が実現を目指している「同性パートナーシップ制度」や「同性婚」は、結婚についての伝統的な考え方の転換あるいは相対化というのが実相だ。従来、性関係は生殖・結婚に結び付くものとして考えていたが、同運動は性・生殖・結婚を切り離す一方、これらを「個人の権利」の問題として捉えているのだ。家族や出産(生命)よりも、個人の権利を優先させる思想と言ってもいい。
要するに、相手を1人の異性に限る一夫一婦制が人権抑圧や「差別」を生み出しているのであって、その結婚・家族観を破壊しなければ、個人の人権は守られないという主張である。
今、LGBT運動や彼らに親和性を持つ論壇では、同性パートナーシップ制度や同性婚の実現だけが主張されているが、「性の多様性」というLGBT運動の根本にある考え方からすれば、性関係を結ぶ形態を1組のカップルに限ることも個人の権利の侵害であり、差別になる。
この運動は結局、非一夫一婦制つまり「複数婚」や「近親婚」容認に行き着くのである。論壇にポリアモリーという言葉が登場してきたことに違和感を持つ読者が多いだろうが、LGBT思想からすればむしろ当然なのである。
ただ、現段階で、複数婚や近親婚を主張することは、社会通念とはあまりに懸け離れており、LGBT運動にマイナスになるから控えられているだけで、もしわが国で同性婚が認められれば、その次の段階として、これらの結婚の容認の主張が出てくるのは必然と考えるべきである。
ゲイの当事者で、立命館大学准教授の千葉雅也は、国際政治学者の三浦瑠麗との対談「欲望と排除の構造」(「Voice」)2019年1月号で、「現在の同性婚やパートナーシップ制度の動きは脱コード化による必然的帰結」と指摘している。脱コード化とはあらゆる規制・規範からの解放であり、個人の権利が社会の最優先価値となるような動きである。千葉は脱コード化の趨勢として同性婚やパートナーシップ制度だけに言及しているが、理論的には複数婚や近親婚もそこに含まれるのである。
ここで筆者が複数婚だけでなく、近親婚にも言及することについて「信じ難い」と感じる読者もおられようが、そうではない。
数年前のことだが、同性婚をめぐる学者たちのシンポジウムで、日本の家族法の専門家は、近親婚が禁じられていることを見ると、性には一定のモラルがあると考えるべきではないかとの主旨の発言を行った。
これに対して、当時まだ同性婚が合法化されていなかったドイツから参加した法律専門家は、人権を最優先に考えるのが時代の流れであり、ドイツでも同性婚が合法化されるだけでなく、いずれ近親婚も認められる時代が来るだろうと語っていた。そのドイツでは昨年、同性婚が合法化された。
結局、LGBT運動がわれわれに突き付けているのは「結婚とは何か」ということだ。1組の男女が共同生活を送りながら子供を育てるためのものという伝統的な結婚観、つまり一夫一婦制を守るのか。または、性・生殖・結婚を切り離して、同性カップルだけでなく複数婚、近親婚も含めてあらゆる性関係を認めるのかということだ。後者の推進者たちは「家族の多様化」と呼んでいるが、実質は「家族解体」である。
今年一年で、LGBTをめぐる論壇の動きで、最も論議を呼んだのは、衆議院議員の杉田水脈の論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」(「新潮45」8月号)だった。いわゆるLGBTの「生産性」論争だ。
その主旨は、生殖につながる男女の結婚と、子供を産まない同性カップルの関係を同等と考えるべきではないということだった。しかし、それが「LGBTには生産性がない」と主張したと曲解され、最終的には「新潮45」の休刊につながった。
杉田論文の本当の論点は、性・生殖・結婚の関係再考だったのだが、LGBT支援勢力によって、その視点が脇にやられて、差別問題にすり替えられてしまったというのが騒動の実態である。
実は、杉田はもう一つ重要な指摘を行っていた。「多様性を受け入れて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず…」と、さまざまな形態の結婚を認めろという声が出てくることを述べていたのだ。
現在、わが国では、パートナーシップ制度導入の動きが強まっているが、その動きは近い将来、同性婚の合法化要求につながるだけでなく、最終的には家族解体に向かうということを念頭に置いて、同制度導入を考える必要がある。(敬称略)
編集委員 森田 清策