「LGBT」の政治利用 「差別」で劣情を煽る
権力闘争の手段にする左翼
保守派の衆議院議員、杉田水脈(みお)(自民党)が月刊「新潮45」8月号に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」が支援団体やリベラル・左派のメディアからの批判に曝(さら)された上、批判への反論特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を組んだ同誌10月号が8月号を上回るバッシングを受け、休刊(実質廃刊)に追い込まれてから、2カ月が経過した。
論壇における前代未聞の騒動の余波は続き、月刊誌12月号は左右を問わず、関連企画を掲載している。中でも、保守派の「Hanada」は、総力大特集「『新潮45』休刊と言論の自由」に82ページを割くという力の入れようだ。
説明不十分なまま休刊を決めた新潮社への批判、ネット攻撃をはじめとした外部からの圧力に屈して月刊誌が休刊となってしまう状況に対する危機意識では左右の論壇は共通している。
杉田擁護論が多かった保守派論壇で、LGBTは性別の二元制がなくなると困るという、ジェンダーフリー論との違いや、本来分けることのできない「性的指向」と「嗜好(しこう)」を分けるのは運動論から出てきたことなど(文藝評論家の小川榮太郎と元参議院議員の松浦大悟との対談「封殺されたLGBT当事者たちの本音」=「Hanada」)、LGBT問題を深く掘り下げようとの試みがあり、読者には有益であったと思われる。
これに対して、左派論壇及び杉田批判派に特徴的だったのはバイアスのかかった論文解釈とレッテル貼りをいまだに続けていることだ。
例えば、文筆家の古谷経衡(つねひら)は杉田論文の主旨について「『子どもをつくらないLGBTのカップルには、生産性がない』という、愚にもつかないもの」となじっている(「迷走する保守論壇とメディアの健全性」=「潮」)。朝日新聞政治部記者の二階堂友紀も「歯牙にかけるに値しない」と切って捨てるとともに、杉田論文を「差別と呼ばずして、何と呼べばいいのか」(「『対話』論の陥穽」 差別をはびこらせる言説とは=「世界」)と、生産性という言葉を深く分析もせずに読者の劣情を煽(あお)っている。
杉田の「生産性」という言葉については他の論考でも批判する論者がいたが、論文を冷静に読めば、その主旨は同性カップルからは子供は生まれないという有性生殖の事実について述べたことは容易に分かる。
このため、「新潮45」を「一部のネトウヨ的な傾向に便乗した色物の雑誌」と決めつける立命館大学准教授・千葉雅也(ゲイの当事者)でさえ、「生産性」については「子供を産むか、産まないか」という意味だとして、「経済的な意味に取る批判者たちの解釈は筋違い」と指摘している(「くだらない企画に内包されたLGBTと国家の大きな問題」=「中央公論」)。
ジャーナリストの木佐芳男は生産性にまつわる興味深いエピソードとして、菅直人元首相が2007年1月、愛知県で行った演説内容を紹介している(「またも『【反日】という病』 集中豪雨的朝日の『杉田水脈』批判」=「Hanada」)。
「実は愛知も、私の住む東京も『生産性』が一位二位を争うぐらい低いんですよね。何の生産性が低いか。それは、『子どもを産むという生産性が最も低い』んですよね。みなさん」。
これを自民党の政治家が口にしようものなら、「子供の産めない女性に対する差別だ」と大バッシングを受けるが、リベラル左派の政治家が語ればまったく問題にならない。こんなところに、左派偏向のテレビ・新聞の実態を浮き彫りにしている。特に朝日新聞について木佐は「LGBTは性的少数派であり、差別を受けやすい存在だという『観念論』に立脚し、無条件に美化しているようにみえる」と述べているが、左派に共通するこの傾向は、政権批判のためのLGBT利用につながっている。
杉田へのレッテル貼りでさらにひどかったのは、ジャーナリストの斎藤貴男で「生産性」を使ったことに対して「呆れて物も言えません」とする一方、「あの相模原市障害者施設殺傷事件の容疑者とも同根の優生思想を連想」させられるとした(「体験的『新潮45』論 保守論壇の劣化の軌跡」=「世界」)。同性カップルは子供を産まないと指摘することがなぜ優生思想になるのか。明らかな論理の飛躍であり印象操作である。
一方、前出した千葉の論考には偏った部分もあった。「『国家』とは、未来へとつなぐ子供という存在があってこそ意味をなす巨大な生命体です。しかしLGBTは子供を作らないため、その連続性を切断する敵対的な関係にある」と述べているが、同性間の性行為をかつて「犯罪」としたり、今も犯罪にしている国と違い、日本においては国家とLGBTを「敵対的」とするのは誇張である。
さらには「国家はやはり、異性間の『自然』な生殖を正統化したいのだということが窺われます」「LGBTは子供を作らないため、国家にとっては『反逆者』になる」とあるが、婚姻を男女に限定しているのは有性生殖という生物学的な原則から導き出されたことであって、「正統化」という表現には論者の偏った国家観が見て取れるし、「反逆者」も誇張である。
「国家」と「個人」を敵対関係として捉えるのは左翼の特徴の一つだが、LGBT運動とマルクス主義に構造的な共通性があることについては、小川も触れている。
「労働者が搾取されている状況の改善には、ほとんどの人が賛成するでしょう。しかしマルクス・レーニン主義は、搾取されてきた労働者が暴力革命を起こし、専制することを目指します。人類を解放する目的のためなら専制権力を握って当然という理屈は、真の意味で労働者を解放することにはならない」とした上で、マイノリティー尊重に反対する人はいないが、「しかしその運動が暴走し、『その発言は差別だ、少数派を傷つけた』とマジョリティを問答無用で黙らせるように変質するのは、騒ぐ人たちの権力闘争の手段に使われるだけで、マイノリティの尊重には繋がりません」。
一方、LGBT当事者の松浦は、「WiLL」に寄せた論考「LGBTに向き合っているのは安倍政権」で、「数年前から運動の中にイデオロギーが入り込むようになり、野党幹部の急接近などで左傾化が始まった」という当事者の先輩の分析を紹介。また、「LGBTに関心を持つ記者はリベラル系が多く、それゆえメディアに登場するLGBT論客は左派ばかりになる。論者の選択過程においてバイアス(偏見)がかかっている」と述べている。これで杉田バッシングと「新潮45」休刊の背景が理解できよう。(敬称略)
編集委員 森田 清策