国際法に沿った憲法解釈を 篠田英朗氏

憲法改正 私はこう考える

東京外国語大学大学院教授 篠田英朗氏(上)

憲法改正のカギを握る野党第1党、立憲民主党の枝野幸男代表は「憲法は国民が権力を縛るためのルールである」との「根本的な理解」が議論の前提という考えを表明している。このような立憲主義の理解をどう評価するか。

篠田英朗氏

 しのだ・ひであき 昭和43年生まれ。早稲田大政経学部卒。ロンドン大国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士。現在、東京外語大大学院教授。専門は平和構築。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)、『集団的自衛権の思想史』(風行社)など。

 非常にいびつな立憲主義の理解だ。国民は一方的に権力を縛るだけではなく、国民の幸福を政府が追求するように、時には協力するのが本来の立憲主義の趣旨であるはずだ。その一部分だけを切り取って、(政府を)縛っていれば立憲主義、縛っていなければ立憲主義じゃないというのは、あまりにも視野が狭過ぎる。

 本当の日本国憲法は社会契約論に根差した英米法的なものだが、それを解釈しているドイツ法の伝統が根強い日本の憲法学者は社会契約論を否定する人たちであるということが、このいびつな立憲主義の理解の背景にある。

ドイツ法の伝統とはどういうものか。

 戦前に日本の憲法学が世界の最高水準にあると誇っていたのは、ドイツ国法学に依拠してのことだった。その残滓(ざんし)の象徴例が統治権という概念だ。統治権というのは憲法学の教科書にはほぼ間違いなく出ているが、憲法典には根拠のない、憲法学者のオリジナルな考え方だ。それがなぜコンセンサスになっているかというと、大日本帝国憲法にあった概念だからだ。それがクセになって新しい憲法もそのように読んでしまっている。

 統治権の概念の問題性は主権者・国民と、政府が持っている統治する権限を峻別(しゅんべつ)してしまうことだ。これは社会契約論に反している。英米法的な発想、つまり現在国際的な標準になっている考え方は、基本的人権を全ての出発点にして法体系を作るという社会契約論的な発想だ。社会構成員が総体として持っている主権と、政府が行使している権限はつながっている。ただ契約関係の中で、その親元と実際の移譲された権限を具体的な場面で行使する人が違っているだけだ。

 ところが主権者あるいは主権という権限と、政府が持つ権力を統治権というふうに峻別してしまうと、完全に違う権力が二つ存在していて戦っているようなイメージになる。統治権を持つ政府が悪いことをしそうだから主権者国民がそれを制約して見張らないといけない、そのために憲法があるんだ、という説明になってしまう。

立憲民主党には、9条に個別的自衛権に限定して自衛権を行使できると明記すべきだとの主張もある。

 私は国際法に沿った憲法解釈が一番いいと思っている。個別的自衛権と集団的自衛権を分けて、個別は良くて集団は悪い、良い個別を認めて悪い集団を制約すべきだ、とするのは、国際法秩序を真っ向から否定する考え方だ。個別にも集団にもいいやり方もあれば、悪いやり方もある。いいやり方をやっていれば両方ともいいし、悪い適用、乱用をしたら両方とも悪いという考え方の中で、両方の乱用について制約をかける議論が正しい。ただし、憲法に書き込まなくても、国際法をもっと勉強すればそれで済む話だ。

 よくアメリカ人のイラク戦争に巻き込まれていいのか、と聞かれるが、イラク戦争に参加するかしないかは、わざわざ法秩序を変えて憲法に記載して禁止させるようなものではなくて、これは間違った戦争で国際法に反しているからやらないと言えば済む。むしろそれが最も適切で、国際的にも通用する言い方だ。

憲法と相容れぬ反米主義

日本国憲法は世界に先駆けて絶対的な平和主義を唱えた画期的な憲法だという護憲派の主張をどう考えるか。

 1945年に国連憲章ができたが、アメリカ人たちが起草した。その内容の新しい部分は欧州の伝統でなく、アメリカ人が西半球・新世界で作り出していた地域秩序だ。第1次大戦後の国際連盟に持ち込み、その後、アメリカは第2次大戦を勝ち抜いて世界最強の国になって、更に国連憲章に自分たちの世界観を反映させた。

 一方で、ニューディール派と言われる国務省の中の人たちが46年2月、日本で日本国憲法を起草した。彼らが傍らに合衆国憲法、国連憲章、大西洋憲章を置くような形で、日本国憲法を起草したのは、言わずもがなだ。

 そういう意味で、(現行憲法が)国連憲章によって説明されている世界の新しい潮流に沿って平和主義を唱えたのは確かだ。ただ、他に類するものがないとか絶対的というのは言い過ぎだ。

 憲法の前文には、はっきりと国際協調主義に基づいて、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して平和を求めると書いてある。一方で国連憲章は邪悪だとか、アメリカ人は信用できないとか言いながら、他方で憲法の平和主義を守れと唱えるということは、本来は出てこない。それが戦後の冷戦構造の歴史の中で現在のような主張になった。

反米の9条信仰はなぜ生まれ、根付いてきたのか。

 最大の理由は憲法学者のアメリカ嫌いではないか。多くは日米同盟の意義を認めないばかりか、アメリカ人は日本を戦争に巻き込むとんでもない奴らだと考えている。憲法学者に従って9条を解釈すれば、とにかくアメリカ人に対抗して9条を運営しようというスローガンができてしまう。

 それがサンフランシスコ講和条約の全面講和論、安保闘争、学園闘争などを経て反米主義者らの血肉になってしまった。ただ、それは憲法が本質的に予定した事態ではなかった。冷戦中に力をもった特定の解釈にすぎない。社会情勢が変われば9条の適用方法についてのコンセンサスも変わってくるということもある。

 (聞き手=政治部・武田滋樹、亀井玲那)