サウジ皇太子の改革推進に期待を寄せるイラン人ジャーナリスト

◆女性解放で競い合い

 中東の大国サウジアラビアで、ムハンマド皇太子による経済・社会改革が進められている。サルマン国王の息子で32歳と若い皇太子に権力が集中し、第1副首相、国防相、経済開発評議会議長を兼任、経済の「脱石油」を目指す「ビジョン2030」、隣国イエメンのシーア派反政府組織「フーシ派」への激しい武力攻撃、女性に対する社会的制限の撤廃など、さまざまな面で、従来のサウジとは違う大改革を次々と打ち出している。

 サウジは、過激派組織「イスラム国」(IS)掃討を受けて影響力を拡大するシーア派のイランに対抗するスンニ派陣営の中核でもある。

 イラン系米国人ジャーナリストのロヤ・ハカキアン女史は米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿「イラン・サウジ競合は希望の光」で、サウジとイランの女性解放を比較、ムハンマド皇太子の改革推進へ期待感をにじませた。

 ハカキアン氏は両国の対立が「外交専門家の間で、地域の不安定要因として懸念されている」ことを指摘した上で、「フェミニストにとっては喜ぶべきことだ。両国が近代的な新たなイスラムとしての体裁を整えようと競い合う中で、女性が利益を享受している」と、イスラム政権下の封建的制約からの女性の解放に期待を表明した。

 イランでは20世紀の前半に性の解放が進められていた。ハカキアン氏は「1936年、専制君主レザ・シャーが抱いていたビジョンは、ムハンマド皇太子のビジョン2030に似ている。シャーは、頭部を覆うヒジャブを禁止した」と強調、「家族の女性が頭を覆わずに外出するのを見ることはシャーにとって心苦しいことだったが、シャーはそれが、近代化への重要な一歩だと考えていた」とす
るシャーの親族の回想を紹介している。

 以後シャーの下で、女性の社会進出が進み、選挙権なども認められてきたという。

 ところが1979年のイラン革命が転機となり、ヒジャブの着用が義務化されるなど、女性への社会的制約は強まっていった。

◆社会的制約次々撤廃

 一方のサウジではこのところ、女性への社会的制約の撤廃が矢継ぎ早に発表され、国外の人権団体からも注目されている。選挙権の付与、自動車の運転を認め、競技場でのスポーツ観戦も認められた。

 ハカキアン氏は「イランの活動家らはいつも、イラン政府に人権の尊重へ圧力をかけるよう西側諸国に求めてきた」が「ムハンマド皇太子の出現で、サウジの動向に関心が集まるようになった」ことで、イラン政府は、従来のように女性に対する抑圧的な主張ができにくくなっていると指摘する。

 サウジでは、ミニスカートをはいて路上を歩く女性を撮影した女性や、自動車を運転する女性の動画がソーシャルメディアに投稿され、国外メディアでも大きく報じられた。

 イランでもサウジに触発されて同様の動きが出ているという。ヒジャブを取り、通りを歩く女性の動画が投稿された。「イラン政府は怒りを緩和しようと譲歩し、イランで初めて、女性重量挙げ選手の国際試合の出場が可能となる」とハカキアン氏は、イランでも女性への社会的制約が緩和され始めていることを明らかにしている。

◆安定との両立が課題

 そもそもサウジは、厳格なワッハーブ派を基盤としたイスラム教国家。ワッハーブ派は初期のイスラム教の時代への回帰を目指すサラフィストの流れをくむ。反政府活動は厳しく取り締まられ、女性の行動に対する制限も厳しい。

 ペルシャ湾岸に原油の大部分を依存する日本にとっても、中東の大国で、米国の同盟国であるサウジの安定は重要だ。そのため西側諸国は、サウジの国内の人権状況に対して甘いとの指摘がなされてきた。「完璧な同盟国など存在しない」(元米中央情報局=CIA=長官)のも国際社会の現実だが、ムハンマド皇太子の改革が、世界最大規模の石油輸出国で西側の同盟国でもあるサウジ、ひいては中東をどう変質させるのかは日本にとっても重要な課題だ。

 ワシントン・ポスト紙は社説で、サウジ国内の腐敗一掃に取り組むムハンマド皇太子の「偽善」を追及する社説を掲げた。同紙は、皇太子がフランスの城を3億㌦で、ロシアの富豪から4億5000万㌦のヨットを購入したと指摘、「(反政府的なブログを投稿したとして収監されている)ライフ・バダウィ氏を釈放することの方が、ヨットやフランスの大邸宅を買うよりサウジの改革に貢献する」と苦言を呈した。

 改革と安定化は両立できるのか、国際社会は固唾(かたず)をのんで見守っている。

(本田隆文)