学校教育の現場を「完全なブラック職場」だと指摘する東洋経済
◆期待と現実の落差大
いじめや不登校、体罰や児童生徒の自殺など教育現場をめぐる問題が頻繁にマスコミに取り上げられる。その際に学校側が把握していなかったという形で校長や教育員委員会のトップが謝罪する光景を多く見る。視聴者はそのたびに学校側の怠慢に対して憤りの感情を覚えるのだが、果たして児童生徒を指導する教員たちは日頃から手を抜いた教育を施しているのであろうか。
かつては就職先を探す大学生たちが、なかなか決まらず最後に「教師でもなるか」「教師しかなれない」といって教員を目指す「でもしか先生」が多くいた。しかし、近年は優秀な学生が教員を目指すという。どこの府県でも教員採用試験の倍率は非常に高く、難関をくぐり抜けて教員になっていく。ただ、教員になった途端に、大変な苦労を強いられる職種であることに気付き、希望と現場のギャップに悩む新米教員も多い。
そんな教育の現場、教員の実態を暴いたのが週刊東洋経済9月16日号の特集「学校が壊れる」である。サブ見出しには、「学校は完全なブラック職場だ」となっている。特集では教員の勤務実態、クラブ活動、給与体系、さらには日本の教育政策について分析している。
◆長時間労働が常態化
その中の一つに、教員の勤務実態を取り上げているが、それによると「中学校教諭の1・7人に1人、小学校教諭の3人に1人が『過労死ライン』(月80時間の残業)を超える長時間労働を強いられている」と指摘し、その原因として①ゆとり授業への反動として、学習指導要領の改訂に伴う授業時間の増加②国が教育委員会からの調査アンケートの集計などの雑務③さらに部活動での指導―といった点を挙げる。こうした授業以外の取り組みに対して学校は勤務時間に合わせた給与体系を構築しているかといえば、民間企業ほどではないというのである。
確かに、東洋経済が指摘するまでもなく、現場で働く教員たちの声を聞くと、正規の時間(8時15分~16時45分)で帰ることのできる教員は皆無に近い。その内実を聞くと授業に関する実務的な仕事というよりも、クラブ活動や保護者への対応などで割かれる時間が結構多いという。ある中学校の新米教員は「保護者が自分の子供を虐待し、その子供は家出をし、担任として、その対応に深夜までかかった」といった話や「家庭通信を作成するにしても、部活などが終わってからなのでどうしても7時以降となり遅くまでかかってしまう」といった声を聞く。
◆悩みは保護者の苦情
ただ、最近はクラブ活動において地域の専門家やスポーツのプロが指導するケースが増えており、そういう点では教員の負担が軽くなる方向にある。むしろ教員が頭を悩ませているのは、モンスターペアレントといわれる保護者の存在であろう。例えば、北海道の教員の研修会でこんなケースが報告されている。「先生、うちの子がA君に殴られたんです。何もしないのに。調べてください。調べたらその結果を教えてください」、あるいは「通知表でどうしてうちの子が3なのか。推薦で大学を希望しているのだから4に上げてほしい。そもそもどういう教育をしているのか」といった具合に、保護者が明らかに上から目線で教員に要求してくるのというである。学校と保護者が裁判沙汰になるケースもある。「もちろん、すべてがモンスターペアレントではありません。ほんの一部です。しかし、時としてそれが学校全体を揺るがす大きな問題になることもあるのです」とある中学校教員は語っていた。
かつては「学校の先生」といえば「聖職者」として一目置かれる存在であった。ところが近年は、教育そのものがデパートやスーパーなどのサービス業と同じように捉えられる傾向にあり、保護者はサービスの需要者として遠慮なく無理難題を学校に求める時代になってきた。
一方で東洋経済の特集では「OECD国際教員環境調査」報告を取り上げている。そこでは週60時間以上の長時間労働している日本の中学校教員への「現在の学校での仕事を楽しんでいるか」との質問に対して、7割以上が「楽しんでいる」と回答。また、「もう一度仕事を選べるとしたらまた、教員になりたいか」との設問にも6割以上が「なりたい」と答える点を紹介している。勤務状況が厳しくても教育へ情熱を注ぐ教員が多いことの表れなのであろう。確かに、「子供たちのために真の教育者になりたい」と願う教員は少なからず存在する。であれば、保護者も自己中心的なモンスターペアレントにならず、学校と家庭が協力して子供の教育に取り組むという姿勢を見せていく必要がある。
(湯朝 肇)