憲法改正と「同性婚」 保守から検討提示の矛盾

伝統的な価値観の崩壊招く

家族条項の導入こそ課題/護憲派は「合憲」の解釈

 今年は日本国憲法施行70周年の節目の年とあって、月刊誌5月号は憲法改正に関する論考が目立つ。安倍晋三首相が憲法改正に強い意欲を示していることも影響しているだろう。

 旧態依然の改憲派、護憲派の対立は影を潜め、代わりに自衛隊の明記、緊急事態条項の導入など、改憲議論が具体的になってきたのは評価できるが、その一方で、このタイミングで、日本の将来を左右する重大な論点が浮上してきた。同性カップルの婚姻を合法化する「同性婚」の問題である。

 同性婚と言えば、性的少数者(LGBT)の権利拡大運動の最終目標である。従って、同性婚の合法化は左派の主張のように思われがちだが、論壇で改憲の課題として提示したのは左派ではない。

 例えば、自民党の中谷元・党憲法改正推進本部長代理は「現行憲法に欠落しているテーマ」として、大規模自然災害などの緊急事態における対応、環境権をはじめとする新しい人権と共に、「同性婚も含め多様な家族形態を保護するような婚姻の自由」(「参院の合区解消を」=「文藝春秋」)を挙げている。

 また、民進党衆議院議員の中でも「穏健保守」を自任する細野豪志は「LGBTの当事者の問題を考えたとき、『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する』と定めている憲法第二十四条についても改正を検討すべきである」(「現実的な憲法改正案を提示する」=「中央公論」)と明言した。

 同性婚についての中谷の言及は、彼個人の意見というよりも、党内の議論を踏まえてそれを課題として挙げたのかもしれない。しかし、憲法施行から70年。少子高齢化、人口減少、児童虐待など、現在、わが国が抱える社会問題の根底にあるのは、家族の絆の弱体化である。従って、憲法改正の課題を挙げるなら、社会の基本単位としての家族を強化するための家族条項の導入であろう。

 中谷が述べた「多様な家族形態を保護するような婚姻の自由」とは、聞こえは良いがその実体は、家族崩壊である。と同時に、日本の伝統文化の破壊を間違いなく加速させることにもなろう。

 にもかかわらず、同性婚を改憲の検討課題として挙げた背景には何があるのか。まず、考えられるのは2年前、東京都渋谷区でいわゆる「パートナーシップ条例」が制定されて火が付き、一部メディアがあおり続けるLGBTブームに便乗する形の自民党の人気取り政策であるということ。そして、家族問題に関して静かに進む保守派内のリベラル化が、そのパフォーマンスを後押ししていることが考えられる。

 中谷や細野は改憲の検討課題の一つとして挙げているにすぎないと弁明するかもしれないが、両人とも同性婚を合法化した場合の社会混乱をどこまで認識しているのか、はなはだ疑問である。

 同性婚の合法化とは、見方を変えれば、「一夫一婦」の婚姻制度の放棄である。性的少数者の権利という偏った観点からだけで、同性婚を論議していたのでは問題の本質を見誤ることになる。

 現行憲法が同性婚を認めず、婚姻を男女に限定、つまり一夫一婦の婚姻制度にしているとする根拠は、細野が示した第24条1項のほか、第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とあるからだ。この規定にある「両性」は男女を意味するものだから、当然、民法も同性婚を認めていない。

 その理由については、家族法の専門家たちは明確に示している。「婚姻は単なる男女の性的関係ではなく、男女の共同体として、その間に生まれた子の保護・育成、分業的共同生活の維持などの機能を持ち、家族の中核を形成する」(佐藤隆夫『現代家族法Ⅰ』)。

 「民法は、生物学的な婚姻障害をいくつか設けている。そこには前提として、婚姻は『子どもを産み・育てる』ためのものだという観念がある」(大村敦志『家族法』第3版)。

 従って、子供が生まれる可能性のない同性カップルの共同生活は婚姻とは言えない、ということになる。同性婚の合法化はこの考え方を覆そうというのであるから、日本の将来像に関わる重大事件である。そして、夫婦も同性カップルも同じ権利を持つというのであれば、同性カップルの養子縁組、人工授精も容認しなければ、それこそ「差別」ということになってしまうだろう。同性婚を改憲課題の一つに挙げるべきだとする政治家たちは、この問題をどう考えるのか。

 同性婚推進派は元来、左派である。しかし、この層は護憲派と重なるため、改憲による同性婚を主張することは自己矛盾に陥る。そこで、彼らの主張はもっぱら“解釈改憲”による同性婚の制度化である。

 つまり、憲法13条の「個人の尊厳」や第14条「法の下の平等」を挙げ、憲法における最優先価値は個人の権利であり、憲法24条が「両性」の文言を用いているとしても、その真意は当人の意思の尊重や平等であるから、現行憲法は同性婚を禁じていないと主張する。

 だが、この主張は少数派である。もし、同性婚を制度化しようとするなら、改憲は避けて通れない課題とするのが正論である。中谷や細野が改憲による同性婚の検討に触れたのは、改憲という高いハードルを設定することで議論を沸騰させ、逆に問題の深刻さを世論に訴えようという狙いなら分からないでもないが……。

 この時期に、改憲による同性婚合法化が浮上するのは、前述したような一部メディアの扇動のほかに、もう一つ理由がある。それは細野も指摘したことだが、オリンピック憲章が「性的指向による差別」を禁止しているため、2020年東京大会を控え、日本がLGBT差別解消に取り組んでいるという姿勢をアピールするという狙いである。それでも、改憲による同性婚は、ハードルが高過ぎる上に、有権者の間でも政治レベルでも議論が進んでいるとは言い難いのだから、唐突感は否めない。

 自民党は5年前、「日本国憲法改正草案」を決定しているが、中谷は憲法改正推進本部起草委員会の委員長を務めている。その改正草案には、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とある。

 既に指摘したように、現行憲法で、家族について触れているのは第24条だが、それは個人の権利の優越性を強調する観点で述べているだけ。現行憲法には、家族の強化という観点からすれば、致命的な欠陥があり、自民党の改正草案には、そのことに対する危機意識があったと言える。

 従って、いくら東京五輪を控え、また一部メディアがLGBTの権利拡大に熱心だからと言って、改憲の課題として同性婚を挙げるのはあまりにも短慮と言えよう。個人の権利があまりにも過剰に強調された結果、家族の崩壊現象が深刻化する現在、社会の根幹を成す家族を保護するという観点からの改正論議こそが必要なのである。(敬称略)

 編集委員 森田 清策