聖誕節の乱数放送


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 古今東西を問わずスパイがいなかった時はない。歴史とは切っても切れない存在だ。とすれば、それを疎(おろそ)かにしてはひどい目に遭うことになる。

 スパイをなめてかかって身と国を滅ぼしたのは百済第21代の蓋鹵王(ケロワン)だ。北魏に送った百済の国書の一部分に「釗の頭を刎ねて高く吊るした」とある。釗は平壌城の戦いで百済軍に殺された高句麗の故国原王の本名だ。高句麗は歯ぎしりして悔しがったはずだ。故国原王のひ孫の長寿王はスパイとなる者を求めた。この時、進み出た人物が僧侶の道琳(トリム)だ。修道はせずに囲碁ばかりやっていたのかは知らないが、囲碁の名人だった。百済に入って蓋鹵王の心をつかんだ道琳はこう言った。「百済は山と川と海に囲まれて、誰も攻め入ることができない。王の威厳がいっそう輝くよう城郭を造り華麗な宮殿を建ててはどうか」。王はそれに従った。すると百済の財政は底をつき、武官たちは離反した。475年9月、3万の軍を率いてきた長寿王によって慰禮城は陥落し、蓋鹵王は“阿且山(アチャサン)城の露”と消えた。

 道琳はどのようにして高句麗と連絡を取ったのか。唐にその手掛かりがある。淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)(高句麗末期に政権を掌握した将軍)が死んだ翌年の666年。唐は老いた李世勣を大総管にしてまたもや侵略した。兵糧が尽きた唐の水軍司令官、郭待封は李大総管に密報を送った。離合詩(文字の偏と旁や熟語の各字を分離して文中に織り込んだ漢詩)だった。ちょっと見れば普通の詩だが、あちこち合わせてみれば他の意味が現れる。離合詩を知らなかった李大総管は「軍事のことが急なのにどうして詩を作って送るのか。直ちに首を刎(は)ねようぞ」と言ったとか。

 北朝鮮がまた乱数放送を行った。25日午前0時15分、クリスマス・キャロルが鳴り響いていた時間なので、聖誕節のメッセージでも送ったのだろうか。「21号探査隊員たちのための遠隔教育大学、物理学の復習課題をお知らせする」。11日の再放送で、今年に入って19回目だ。複数の名称を使っており、8月には「27号探査隊員たち」といっていた。乱数表を持つ者が1人や2人ではないという意味だ。

 離合詩の跡を継ぐ乱数放送。第4次産業革命が始まろうとする時代に突拍子もなく再登場したアナログの乱数放送だが、理由があるのは明白だ。古今を通じ1度もいなかった時のないスパイだが捜索の歴史も途切れたことがない。蓋鹵王や慰禮城の二の舞いにならないためには、どうすべきだろうか。(12月26日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。