祈る存在が象徴の本質

天皇陛下「お気持ち」表明に思う(下)

作家 竹田恒泰

 明治22年に旧皇室典範が発布されるが、この時に譲位を制度化すべきかどうか明治の元勲達がさんざん議論してきた。そして四つの理由で制度化すべきでないという結論になった。その四つとは、①天皇の位を退いた後、上皇として政治権力を振るう院政の弊害②天皇の意思に反して時の権力者が天皇を退位に追い込む可能性(崇徳天皇など)③天皇が政治的に絶妙なタイミングで譲位を発意することによって、政治に圧力をかける(江戸時代前期の後水尾天皇など)④伊藤博文が一番重視した、随意に退くのは天皇としてふさわしくない。

竹田恒泰氏

 戦後、占領下で旧皇室典範を改めて新しい皇室典範に書き変える作業をしたときも、譲位についてさんざん検討されたが、同じように歴史的な問題から見送られている。再びこれが議論されたのが、昭和天皇が82歳の時。国会審議で、さすがにお年だから、もう退いていただくことも考えたほうが良いのではないか、という社会党の質問に対し、宮内庁次長が答弁し、基本的には明治時代に審議されたのと同じ理由で制度化を見送っている。

 象徴としてのあり方について、昭和天皇と今上天皇のお考えは違う。昭和天皇は最後長い間闘病生活をなさり、その時はご公務はほとんどなさらなかった。でもその時に象徴としての務めを果たせないから位を退いて頂くべきとは、誰も主張しなかった。象徴として相応しいかどうか、みんな相応しいと思っていた。これも一つの答え。

なぜ昭和天皇がベッドの中でも象徴天皇として仕事を果たせたのか。これは天皇の本質論であり、天皇陛下も今回のお言葉で仰っていたが、天皇は祈る存在だ。核になる役割は国民の幸せを祈ること。昭和天皇は天皇としての動作はなさらなかったが、ひたすら国民の幸せを祈るという天皇としての中核の部分は一つも変わらずに病床にいらっしゃった。それを国民も信じていたので、譲位して頂こうかなどと考える人はいなかった。

今回のことで、私がこのような昭和天皇の話をすると、「実は私もそう思ってたんですよ、今まで言えませんでした」という人は結構いる。

 しかし、今の天皇陛下は考えが違う。私が思うに、多分両方とも正しい。天皇陛下の真面目なご性格からしたら、祭祀など簡単にして続けることを良しとなさらない。これはこれで筋の通った立派なお考えだ。

 何が正しいのか、多分両方正しい。象徴天皇とは、どうあるべきか、昭和天皇型がいいのか、今の天皇陛下型が良いのか、最終的には国民が幅のある議論をして決めるべきことだ。

もし譲位ということになった場合、方法は二つある。一つは譲位を制度化する。もう一つは制度化せず、現在の天皇陛下一代限りの特別措置として譲位を実行する。既に述べたように、歴史上譲位は非常に危険なものを孕んできた。制度にすると、同じような問題を孕むことになる。現在の皇室典範との整合性もとりにくくなる。もともと天皇は非政治的だから、譲位すら天皇自ら決定するとは憲法上難しい。譲位なさるとしても、一代限りの特別措置とするのが良いと思う。

(談)