新風運んだ馬も「今は昔」
中国新疆からカザフへバスの旅
 中国の新疆自治区ホルゴスから国境を越え、カザフスタン一の商都アルマトイに向かうバスに乗った。4千メートル級の峰々が連なる天山山脈は、中央アジアと中国を隔て夏でも万年雪と氷河をたたえている。その中腹では、のんびりと草を食(は)む馬の群れが車窓から見える。馬は暑さに弱いので、夏は標高の高い高原に移動する。かつて中国が求めた名馬・汗血馬は、カザフスタンやキルギスの馬だった。
(池永達夫、写真も)
モンゴル帝国支えた騎馬軍団
取って代わる高速鉄道・道路
隣の席から青年が話し掛けてきた。中国の西南大学に留学しているカザフ人学生のマラート・タジンさん(21)だった。
「大学では何人ぐらいの留学生がいるのか」と尋ねた。
「カザフスタンから100人、ベトナムから100人、タイから400人」
「キルギスからは?」と聞いた。
答えは1人だという。
中国新疆のカシュガルでは、遼寧省の大学で英語を教えているという米国人から「一時、中国留学が米でブームになったことがあったが、今は激減している」と聞いたことがあった。米国人留学生は6年前がピークで、その後は右肩下がりでブームは去った。
主な理由は北京や西安など盆地で最もひどい状況になっている空気汚染と食料の安全性だ。さらに生活空間ではともかく、教室内での自由な言論が制約されていることも俎上(そじょう)に上る。だが、一番の原因は、就職難だ。中国の有力企業は、中国語をしゃべる米国人より、英語をしゃべれる中国人留学帰国組を採用したがったからだ。
ともあれ中国の大学で、外国人留学生は米国人は激減しつつも、アフリカからの留学生は多いし、中央アジアやベトナム、タイも増加傾向にある。
カザフ人学生に「馬は乗れるのか」聞いた。
「無論さ、村で馬に乗れない友人はいない。女の子だって、ほとんどが乗れる」という。
夏場、強烈な日差しが照り付ける平野部とキルギスの白いフェルトの民族帽のような万年雪を頂いた山岳部、そして茶の砂漠と緑のオアシスのコントラストは、中央アジア特有の景観だ。
年間降水量は乏しいが、春になれば一面、ビロードのような緑に覆われる草原は、家畜の飼育には最適であり、遊牧民の活動の舞台だった。カザフという名称も「放浪する自由の民」を意味するが、遊牧民族ならではのものだ。
羊を飼っていた遊牧民は草を求めての季節移動生活者だったが、馬を得て騎馬民族になった。馬は汗をかく哺乳類だ。哺乳類で大量の汗をかくのは、人間と馬だけだ。カモシカも汗をかくが、体温調節のためではなく、殺菌して皮膚を守るためらしい。そうした冷却装置を身に着けているため、長距離走行が可能なのだ。
とりわけ汗血馬と呼ばれる名馬は中央アジア産だった。こうした馬は武器となり、侵略と版図拡大の最新兵器となった。馬が戦術を変え、情報も伝えたのだ。今でいうミサイルとインターネットの役割を馬が果たしたともいえる。それで、優れた機動力や軍事力を生かした騎馬民族が新しい時代を切り開いていくことになった。機能的な軍事政治組織構築に成功したモンゴル帝国は、東は朝鮮半島から西はハンガリーまでユーラシア大陸を制覇した。モンゴルはジャムチという駅逓制度を構築し、馬でドナウ川まで2週間で駆け抜けている。
だが現在、馬が主役だったチンギスハン「西征の道」に、「一帯一路」戦略を推進する中国の新幹線と高速道路が走ろうとしている。
カザフの伝統楽器は胡弓のように弓で弾くコブスだが、アルマトイで聞いたコブスの音色は哀愁漂う物悲しいものだった。













