親孝行契約


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 古代ローマの弁論家キケロが最初に名声を得たのは尊属殺人事件だ。キケロは父親を殺した容疑を受けたロスキウスという人物を弁護して無罪を立証した。当時の権力者スッラの側近が告訴した事件なので政治的な波紋も少なくなかったという。

 ローマでは尊属殺人事件がしばしば発生したが、貴族階層でいっそう多かった。主に財産権と無縁でない人とは思えない犯罪だ。処罰は厳しかった。罪人はムチ打たれた後、蛇、雄鶏、猿、犬が入った袋に入れられて深い海や川に投げ込まれた。ウェスパシアヌス皇帝の時に処罰されたマケドニウスという男は、父親が長生きすると自分の負債をどうやって返すのかと平然と抗弁して、元老院をいっそう激憤させた。

 父母と子供の世代間の関係は社会ごと、時代ごとに異なる。特に財産権など、各種の権利行使のパターンに対する専門的な研究を極めて多様だ。一方の極には父母が老人になると全ての権限を失う文化がある。もう一方の極では老人が家父長的な権限を長く行使する。それぞれの伝統社会は両極に分かれたり、その中間のどこかに位置する。

 韓国、日本、中国が属する東アジア文化はどうなのか。ローマよりも老人を敬う。米国の学者ジャレド・ダイアモンドは「最も強烈な形態の老人尊重は儒教と関連した親孝行の概念」だと規定する。米国などに比べると、東アジアで老いるということはそれほど悪いことではない。法制化の努力もなされている。日本は1966年に老人福祉法(63年制定)を土台にして「敬老の日」を制定した。中国は1950年の婚姻法を根拠にして、親孝行を法制化した。韓国もまた、少なくとも理論的には日中をしのぐ老人を尊重する国家だ。

 問題は現実だ。文化と現実がかけ離れているためだ。だれもかれもが親孝行と関係なく暮らしている。そんな世知辛い時代相を叱責する最高裁の判決が昨日、公表された。一言で言うと、父母によく仕えなければ、父母の財産を欲しがる資格もないという判決だ。

 我々の社会がどうしてこんな状況にまでなってしまったのか。昨日の判決では、老いていく父母が「親孝行契約」のような覚書でも予(あらかじ)め結んでおかなければ、法の保護を受けられないという点も確認されたので、いっそう後味が悪い。

 こんな時代相に雷を落とすには、一体どうすればいいのだろうか。罪状に関係なく、無条件に古代ローマ式の過酷な処罰を加えることもできないわけだから…。

 (12月28日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。