ミャンマーを通り過ぎた日英

金子 民雄歴史家 金子 民雄

多難なスー・チー党首

抵抗感じた「ビルマの竪琴」

 2015年11月8日、ミャンマーの総選挙が何十年ぶりかで行われ、アウン・サン・スー・チー党首の率いる最大野党(国民民主連盟NLD)が勝利を収めた。東南アジアにも新しい時代が訪れたようである。いまでは南アジア一帯を東南アジアと呼ぶが、第2次大戦前までは専ら南方とか南洋といっていた。これが戦中には大東亜と呼ばれるようになった。この呼称をめぐって中国側から強く批判を受けた。軍国主義日本を象徴するものだという。これは中国人なら分かるだろうが、東亜とは東アジアのことだ。東南アジアは新しい造語であり、西欧人の使っていたせいぜい数十年の歴史しかない。

 さて、この東南アジアでいま一番近くて遠い国となると、ミャンマーかもしれない。たしか1989年、タイ北西部から無断越境して北部ビルマに入ったとき、深いジャングル地帯にあった掘っ立て小屋同然の入国事務所の管理官から、今回ビルマからミャンマーに国名が変わったと教えられ驚いた。

 この地域はカレン、カチン、タイヤイといった少数民族が居住し、ビルマ中央政府に激しく反抗し無政府状態だから、入国など無理なところだった。1970年代以降、ビルマ国内は混乱し、とてもこの国の実情など知るすべがなかった。70年代にやっと入国できたものの、北部ビルマは入国が禁ぜられ、追い出されてしまった。

 豊富な天然資源にもめぐまれ、古い歴史をもち、敬虔な仏教徒(小乗)が人口の80%を占め、本来なら平穏な国土と思われていたのだが、第2次大戦が終わり、英領植民地から1948年に解放されて独立したものの、ここから混乱を始めた。そして外国人の入国も、自由な旅行も行動も許されなかった。国策だといえばそれまでだが、この理由付けがよく分からない。それに比べれば日本は戦争に負けたとはいえ、それも遠い過去になった。それにはお互いの過去の歴史を振り返って見ることも一つの方法かもしれない。

 戦後70年、間もなく齢80を迎える者にとっては、幼少時からずっと戦争に引き摺り込まれた時代の子供として生きてきた。そして小学校3年生のときようやく敗戦を迎えたが、子供ながらなんとも言えぬ心境だった。ちょうど小学校5年生のとき(昭和22年)だったろうか、竹山道雄という人が書いた『ビルマの竪琴』という作品が、たしか子供向けの月刊誌か何かに連載されだした。すると学級の担任の男性の先生が、親切にも毎回読んでくれた。

 読み物も満足にない時代、生徒たちはみな熱心に聞いていたのだったが、どうしたことか、二、三回目の頃から教室の雰囲気がなにか急に変わってきたのだった。教室の仲間四、五十人が言葉は一言も発せず、それでいて態度を硬直させ、続きはもう聞きたくない態度を示した。これは一種異様だった。

 当時の学生たちはいたって純心で、先生に反抗するなどあり得なかった。それが無言の抵抗だった。先生も楽しませてあげようと読んでくれたのだが、これがとんでもないことになったのだ。賢明な先生は一切理由を訊ねず、朗読は中止となった。仲間たちはなにも言わない。ともかくクラス全員がこの本の内容を受け入れなかったのだ。

 ではどうして。この理由もなんとなく納得できたのは、もうずっと後年のことだった。だれ一人本心を明かさないのだが、われわれが学校に入学して以来、毎度、「天皇陛下は神様である」、「皇国日本、鬼畜米英」という教育を徹底的に教え込まれてきた。ところが戦争が終わったと同時にこうした言葉は、ぴたりと止んでしまった。子供らが狡(ずる)賢いのか利口なのか、だれもこのことを言わない。憎むべき米英と教えていたのに、この『ビルマの竪琴』の中にはビルマで敗戦を迎えた日本の捕虜兵士たちが、心をこめて次々と英国の歌曲「埴生の宿」とか、アイルランド民謡の「庭の千草」、スコットランド民謡の「故郷の空」など、よく知っている歌を唄っていく。もう平和なときなのだから、敵国の歌であろうが悪いことではないという発想だったろうが、子供心は複雑だったのだ。こんな嘘つきの本など聞きたくもなかったのだった。

 このクラスの2人の男の子の父親は、南方の戦線で戦死していた。わたしの父親は重傷だったがなんとか生き延びた。こういった感情の世界では理屈では通らない。こうした過去のことは早く忘れ去った方がよいのだが、さてミャンマーはどうなのであろう。あくまで頑なに鎖国政策をずっと取り続けてきた理由は、一体なにだったのだろうか。これに英領植民地時代の暗く重い背景があったのではないだろうか。

 新しい時代のトップに立つスー・チー女史はたしか英国籍だったはずである。なにしろ千数百種の多民族を抱えたミャンマーの統治は、一筋縄ではいかないであろう。アメリカと密かに情報交換していたという彼女に、どの位の住民が信頼を寄せるのか。間もなく分かるだろう。

(かねこ・たみお)