ユダヤ金融規制した大憲章

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

13世紀英国の社会問題

教会法適用外で巨富を築く

 日本の高校生も世界史の授業で学んだことのあるマグナ・カルタ(大憲章)。今年はマグナ・カルタ発布、800周年にあたる記念の年だ。発布の地、英国東南部ラニミードではエリザベス女王やキャメロン首相も出席し、祝賀式典が盛大に催されたのである。

 マグナ・カルタとは1215年6月、英国貴族やロンドン市民たちが結束して英国王に認めさせた63カ条からなる法律文書だ。その内容は法の支配を明文化することで、国王の権力を制限し、個人の権利を専制から保護し、英国人の基本的権利を定めたものである。「英国憲法の礎」と評されるゆえんである。マグナ・カルタはその後の世界史における民主主義の発展に大きく寄与している。合衆国憲法に影響を与え、インドのガンジー、南アフリカのマンデラも人権を求める自身の闘いの中で、マグナ・カルタを引用した演説を行っているからである。

 さて、ユダヤ史を専攻する筆者とマグナ・カルタとは一見、無関係に思われるが、そうではない。63カ条からなる条文中の第10条、第11条において、ユダヤ金融の債務者に対する保護規定がうたわれているからだ。

 第10条は債務者が返済前に死亡した場合、その相続人が未成年の間は利息を停止するという救済措置であった。また第11条は残された未亡人に対する保護規定で、夫の債務についてはすべて返済を免除するという内容であった。

 1970年代の日本で、サラ金のゆきすぎた取り立ての結果、債務者とその家族が一家心中に追い込まれる不幸な事件が相次ぐ中、政府・議会がようやく重い腰をあげ、サラ金を規制する「貸金業法」を制定したことは年配の読者にとり記憶に新しいところであろう。

 それと同様、13世紀英国でもユダヤ金融の厳しい取り立てにより、債務者が土地抵当を没収され、生活破綻に追い込まれる事件が頻発していたのだ。だからこそ、ユダヤ金融に対する法的規制を強く求める世論が高まり、かのマグナ・カルタの条文中に明文化されたというわけだ。

 法制定の背景は良く似ているのだが、債務者の性格は大きく異なる。今日のサラ金の主要債務者は低収入の勤労者層の人々である。まじめに働いているのだが、収入自体が少ないため、業者からついカネを借り、気づいてみたら多重債務者状態に陥っていたというケースだ。一方、13世紀英国のユダヤ金融(今日のサラ金に相当する当時の代表的消費者金融)の主要債務者は騎士階級のエリートだった。体面を重んじる彼らの暮らしぶりに不可欠な身分付帯費用(例えば、従者を傭(やと)う人件費や交際費)がかさみ、負債が生じたのである。

 父祖伝来の所領を抵当にユダヤ金融からカネを借りたのだが、農場経営が生み出す低い収益では高利率(年利43%から86%)を満たすことができず、返済不能が頻発し、一大社会問題となったわけだ。

 中世前期を通じて普通の商工業に幅広く従事できたユダヤ人だが、当時、賤業とみなされた消費者金融業に封じ込められるのは11~12世紀のことであった。十字軍運動を機に土着のキリスト教徒商人が台頭する中、ユダヤ人の経済活動を制限する差別的諸立法が制定されていったからだ。

 けれど、したたかなユダヤ人たちは逆境をチャンスに変えていった。設備投資が必要なモノ作りや在庫を抱えるリスクを負った商業と異なり、寝ている間も利息が増えてゆく金融業は利益率が格段に高いビジネスなのだ。その際、追い風となったのはキリスト教会の法律、教会法がキリスト教徒による金貸行為を禁じていたことだ。

 競争相手が殆どいないこの分野でユダヤ人たちはまたたく間に巨富を築いていったのだ。13世紀初め、英国ユダヤ人は20万マーク(今日の160億円に相当。1マークは3分の2ポンドに相当する高額貨幣単位)の貨幣を保有していた。これは当時の英国で流通していた貨幣全体の3分の1に相当する大変な金額だ。英国総人口の0・25%にすぎぬ5000人のユダヤ人が貨幣全体の3分の1を保有していた勘定となる。

 貨幣は一握りのユダヤ大富豪に集中していた。最大級のユダヤ金貸、リンカンのエアロンが死亡した時、彼が残した未回収の債権額(債務者数は430人)は1万5000ポンド。実に英国王の年間収入の4分の3に相当する金額であった。

 情報・通信、メディア、不動産、小売りなど多様な業種で活躍する今日のユダヤ人にとり、消費者金融業は数ある稼ぎ場の中のひとつにすぎず、ユダヤ・ビジネス全体に占めるその比重は低下していることは否めない。けれど国富全体に占めるユダヤ・マネーの比重、一部大富豪への富の偏在という現象は800年の歳月を経ても殆ど変わっていないというのは刮目(かつもく)に値するといえよう。

(さとう・ただゆき)