「苦悩」は人間の生きる証し
回復する免疫力を培え
人間学的カウンセリングから
我が国におけるカウンセリングの歩みは、昭和30年代にアメリカの教育相談(職業相談)の流れに端を発し、幾多の変遷を経て今日に至っている。
そもそもカウンセリングとは、どのような対人関係を意味するのであろうか。英国カウンセリング協会ではカウンセリングの定義についてこう述べている。“カウンセリングで、しなければならないことは、クライエントに、より豊かでより良く生きることを目指した生き方を模索し、発見し、明確化する機会を与えることである”と。つまり、より豊かでより良く生きることを目指して、クライエント(悩んでいる人)とカウンセラー(相談者)が関わることではなかろうか。人間が生きるということは、実に多くの様々な煩わしいことの連続で常に悩みを抱き続けているのである。
それ故に、オーストリアの精神科医、V・フランクル(1905~77)は、人間の本質についてこう語っている。“人間はホモ・パティエンスである”と。つまり「人間は苦悩する存在である」と。このことは、人間が心の中に抱える「苦悩」を取り除いていこうとするのではなく、その「苦悩」の積極的な意味に着目し、「苦悩することは、人間の一つの大事な能力である」ことに正面から光りを当てているのである。
確かに、ドイツの哲学者、ニーチェ(1844~1900)も、その著「権力への意志」で“人間だけが生きる苦しみを知っている動物である”と述べている。この「苦悩」の意味を問うことが、フランクルのロゴセラピー(Logotherapy=ロゴス=意味によるセラピー=癒やし)なのである。これこそが、人間回復のカウンセリングであり、正に「人間学」ではなかろうか。
例えば、高見順(食道がん)、宇野重吉(肺がん)らが闘病に向けたエネルギーを人生と対峙(たいじ)したという従病(しょうびょう)の態度で、人生の充実をはかったということは、ロゴセラピーでいう「態度価値」の実践ではないかと思う。人間に生きる力を与え、極限状況にあっても生きながらせしめるもの、それは、肉体の頑強さでも、世渡りのうまさでもなく“精神性の高さ、豊かさ”~内面的な精神の自由と豊かさ~であることをフランクルは指摘している。そこには「自分の欲望や願望中心の水平軸」の生き方から「意味と使命中心の垂直軸」の生き方への転換が必要なのである。この「水平軸」の生き方から、「垂直軸」への生き方への転換を図るときに、未来を肯定的に捉える態度が重要になってくるのである。
未来を肯定的に捉える態度をフランスの実存哲学者ガブリエル・マルセル(1889~1973)は「根源的希望」と呼んでいる。それは「日常的希望」(例えば、明日は晴れてほしい)に対して、人生の根底に未来を肯定的に捉える態度を「根源的希望」と区別している。それは、「人生の総決算」(人生を見直し、自分の人生の総仕上げとしての生き方)にとって極めて大事なことではなかろうか。この「人生の総決算」をどう迎えるかということが「人間学的カウンセリング」の重要な課題の一つであると思うのである。
アメリカの精神分析医カール・メニンガー(1893~1990)は、こう語っている。“態度というものは、事実よりもはるかに重要である”と。つまり、予想もしなかった出来事(客観的事実)よりも、そのことをどのように受け止めるかという主観的態度こそが重要であるというのである。そこには、それを受け止める耐性(こころの免疫力)が必要になるのではないかと思う。そして、それを培う力、即ち人間力が問われているのではないかと思うのである。そのためには具体的にどのようなことを心掛けたらよいのであろうか。例えば次のようなことも大事ではないかと思う。
・「今に生きる」~いま、というこの時、この瞬間を全力で生きる
・「ここに生きる」~自分の置かれている状況(場)を大切に生きる
・「現実的に生きる」~まず、できることから実行してみること
・「自分自身に責任を持って生きる」~己こそ己のよるべであるということ
・「時薬(ときぐすり)を大切にして生きる」~困難な問題こそじっと待つ時間が必要であるということ
人間的な「悩み」を人間的に「悩むこと」が、生きていることの証(あか)しであり、この「悩む力」にこそ生きる意味が宿っているのではないかと政治学者の姜尚中は、語っている(『悩む力』)。スイスの精神科医C・ユング(1875~1961)は、“心理療法の最高の目的は患者(クライエント)をありえない幸福状態に移そうとするのではなく、彼に苦しみに耐えられる強さと哲学的忍耐を可能にさせることである”と述べている(林道義編著『心理療法論』)。
終わりに、ドイツの文豪・ゲーテの言葉を噛(か)み締めてみたいと思う。“いたましく悩むこころは御身をさらに、御身みずからあるよりも尊く高く磨きこそすれ”
(敬称略)
(ねもと・かずお)