脅かされる在仏ユダヤ社会

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

反ユダヤ主義の主戦場に

イスラム原理主義が過激化

 1月9日、パリ東部バンセンヌのユダヤ食料品店で起きた凶行は世界を震撼させた。「イスラム国」に共鳴する在仏テロリスト、アメデイ・クリバリが人質を取って立籠り、4人のユダヤ人客を殺害した事件だ。ユダヤ人を狙った同様のテロは近年頻発している。2012年3月には南仏トゥールーズ市でアルカイダと連携する在仏アルジェリア系イスラム教徒がユダヤ人学校に押し入り、導師と3人の学童を殺害した一件は記憶に新しい。こうした事態を鑑みて在仏ユダヤ団体の某幹部は「我々は目下戦争状態にある」と危機感をあらわにしている。フランスは何故、欧州における反ユダヤ主義の主戦場と化してしまったのだろうか。

 在仏ユダヤ社会は人口55万人。イスラエルを除けば、米に次ぐ世界第3位の規模だ。

 長年この国に住み続けた欧州系ユダヤ人は仏エリート社会に同化し、活躍してきた。首相を務めたレオン・ブルムはその代表だ。出生率の低い彼らが、その数を減らし続けたのに対し、今日、在仏ユダヤ人の4分の3を占めるのが、北アフリカの旧仏領植民地出身のユダヤ移民の子孫たちだ。彼らは同化主義的エリートユダヤ人と異なり、宗教色が強く、出生率も高い。彼らの集住地区では新たなユダヤ人学校、会堂、ユダヤ料理店等の建設がちょっとしたブームになっているほどだ。ひっそりと、目立たぬように暮らしてきた同化主義的エリートと異なり、こうした「目立つユダヤ人」の存在感が近年のテロを誘発した側面は否めない。

 フランスはギリシャやハンガリーのように反ユダヤ主義を公然と叫ぶ政党が国会で議席を占めているわけではない。代表的な仏極右、国民戦線が反ユダヤ主義を標榜(ひょうぼう)していたのはもう大分、昔の話だ。いまでは共通の敵、イスラム原理主義者を前に、仏極右と右派ユダヤ集団は手を結んでしまったのだ。だから今日の在仏反ユダヤ勢力とは、このイスラム原理主義者に他ならない。実数は不明だが、母体となるイスラム教徒人口に比例しているとみて大過あるまい。在仏イスラム教徒人口は欧州最大の600万人。総人口の実に9%。アメリカの0・7%と比べると格段に多い。この点が、今回のような凄惨な反ユダヤ・テロがアメリカではなく、フランスで頻発する背景と考えられる。過激な原理主義に惹き寄せられ易いのは北アフリカの旧仏領植民地出身のイスラム教徒移民の第2・第3世代に属する若者たちだ。その数、実に400万、仏政府は旧宗主国故に若者たちの両親、祖父母である1世たちを道義上受け容れざるを得なかったわけだ。1世たちは本国在住時に我が物とした反ユダヤ主義を移住先のフランスで子や孫に教唆する役割を果たした。それは1948年のイスラエル建国直後、中東イスラム世界全域で澎湃として湧き起こった反ユダヤ主義である。「イスラムの聖地、パレスチナをユダヤ人が勝手に占領し、国を樹立した」ことへの反感に根差すものであった。

 移住先のフランスで、同じ時期に移り住んだユダヤ系が示した成功の能力に強い嫉妬を抱き、これが攻撃の引き金となった点も見逃せない。例えば昨年7月、パリ北郊のサルセル市に北アフリカ系イスラム教徒の若者が集結し、「ユダヤを殺せ、焼いてしまえ」と叫びながらユダヤ人所有の薬局、食料品店を焼き打ちにする暴動が発生した。現場は繁盛する十数軒のユダヤ商店が立ち並ぶ「小エルサレム」とあだ名される商店街であった。

 北アフリカ系は失業率・犯罪率が極めて高く、仏社会の底辺で呻吟(しんぎん)している。刑務所に服役する仏囚人の7割はイスラム教徒と推定されるほどだ。今回のテロ実行犯クリバリも未成年期から強盗を繰り返した後、服役中にイスラム原理主義に染まったと言われる。引き金となった直近の出来事としては、昨年夏のガザ攻撃が無視できない。イスラム原理主義の同胞、ガザ地区のハマスに対するイスラエル軍による猛攻への報復として、「イスラエルを支える身近な敵、在仏ユダヤ人」を襲うという図式だ。サルセル暴動の現場でも親ハマスの合言葉を叫ぶ暴徒の姿が目撃されている。

 こうした中、フランスからイスラエルへ退避出国するユダヤ人は急増している。2012年以前は年間2000人で推移していたが、14年には7000人に急増。15年には1万人に達すると見積もられている。事件後、訪仏したネタニヤフ首相もイスラエル移住を歓迎するラブコールを送っている。しかし、移住は反ユダヤ主義に負けを認めたことを意味する。

 本当の解決策とは言えない。仏国内の公教育制度の中で「落ちこぼれ」を出さぬようイスラム教徒移民の第2、第3世代への手厚い教育・就労支援を行い、彼らを体制に取り込む地道な努力が真の解決策といえまいか。

 改善の成果は確認できる。12年の総選挙では5人の北アフリカ系が仏国会議員に当選している。サルコジ政権下ではアルジェリア系が法相に、現オランド政権でもモロッコ系が教育相に登用されている。彼らの人生の軌跡を学ぶべき手本として、怒れる若者たちに伝えてゆく作業が必要であろう。

(さとう・ただゆき)