李健煕会長の闘病
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
三星(サムスン)電子の李健煕(イゴニ)会長の幼少年期は孤独だった。金持ちの家の息子として生まれたが、いつも独りだった。小学校5年生になるまで5回も転校した。父の李秉喆(イビョンチョル)氏は日本を見て学べと、5年生の時に彼を東京に留学させた。「朝鮮人」とからかう民族差別と冷たい視線が彼を迎えた。日本語もろくにできず、周囲に一人の友達もいなかった。一緒に留学した21歳の次兄が唯一の話し相手だった。孤児ではないが、天涯の孤児と同じ身の上だった。
李会長は独りで暮らす方法を会得した。映画と機械の組み立てに深くはまり込んだ。自宅で1300編を超える映画を独りで見た。同じ映画をビデオで30回以上繰り返して見たこともあった。彼は主人公にだけ心酔するのでなく、助演や端役の俳優のようなあまり目立たない登場人物の立場に立って、彼らの人生に思いを巡らせた。さらには監督とカメラマンの位置まで考えながら、立体的な思考を培った。彼は趣味としてよく機械を分解して組み立てた。はるか後に、グループの総帥となってからも世界的な企業の電子製品を独りで解体して研究した。一流企業の三星をリードする専門知識の種はここで芽生えた。
李会長は日本を統一した徳川家康から忍耐を学んだ。家康は48年間、自分を隠してありとあらゆる屈辱を耐え抜いた。李会長は家康のように夢に向かって自分を鍛練した。片手をベッドに縛って24時間我慢したりもした。こんな“鍛練”は三男として経営権とは距離が遠かった彼が、あらゆる牽制(けんせい)と流言を克服する力となった。
急性心筋梗塞で三星ソウル病院で長期闘病中の李会長が近く退院するという話だ。梨泰院の自宅で安定した治療を受けるためだという。彼の容態は、周囲の手を借りて車いすに座り治療を受けるところまで好転したが、まだ意識は完全に回復していない。目を開けている時間がだんだん長くなり、大きな音がする方にやっと体を動かす程度だ。
李会長は孤独な勝負師だ。彼は今、3000時間余り孤独に病魔と闘っている。彼の早急な快癒は病苦と格闘する数多くの人々に小さな慰安となるはずだ。彼にはやるべきことが残っている。共同体のささやかな登場人物一人ひとりを包摂してあげることだ。最高の金持ち、最高の企業経営者の枠を超える人生の責務だ。
(10月6日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。