「朝日」問題の核心 日本の威信失墜させた
長く報道姿勢座視した読者
いわゆる「従軍慰安婦」問題に関する「吉田証言」と東京電力福島第1原発事故における「吉田調書」をめぐる報道で新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌とあらゆるメディアから批判をあびる朝日新聞。9月11日の木村伊量社長の記者会見には、会社の存続さえも危うくするような朝日批判を沈静化させようとの意図があったのだろう。
だが、月刊誌10月号を見ると、批判が沈静化するどころか、記者会見は逆に火に油を注いでしまった、との印象を受ける。「WiLL」「正論」「Voice」がそれぞれ大特集を組んで徹底した朝日批判を行っている。これらの保守系月刊誌はこれまでも朝日批判を繰り広げており、予想通りの展開だが、「文藝春秋」「新潮45」「中央公論」も朝日に関連した特集を組んでいる。
そればかりか、「WiLL」は11月増刊号「朝日新聞と『従軍慰安婦』」、また「文藝春秋」は週刊文春臨時増刊「『朝日新聞』は日本に必要か」を出した。左派の「世界」はメディア批評で「慰安婦問題の矮小化を許すな」と、「朝日バッシング」を展開する保守系メディアを批判する。主な月刊誌で朝日関連の論考を掲載しなかったのは「潮」くらいなもので、論壇はいま朝日問題一色の様相を呈している。
二つの「吉田」問題をめぐる朝日の虚報、誤報は国内外への影響がいかに大きいかを示す論壇の動きであるとともに、国民の関心を集めるこのテーマで特集を組む月刊誌がよく売れる証左でもある。
吉田証言や吉田調書に関する朝日の歪曲(わいきょく)報道の具体的な内容はすでにさまざまなメディアで言い尽くされているのでここでは省くが、作家の塩野七生がその論考「朝日新聞の“告白”を越えて」(「文藝春秋」)で興味深い指摘を行っている。
「権力についてはくり返し批判するのに権威にはすこぶる弱い、われわれ日本人の性向である。あの朝日が書いていることだからと疑いもせずに、二十年にもわたって朝日新聞を購読してきたのだから」 どういうことかというと、朝日は1997年に、明確な取り消しではなかったが、吉田証言が不確実であることを紙上で認めた。以来、吉田証言を取り上げてこなかった。この時点で、読者は、朝日が真偽の疑わしい証言をあたかも真実であるかのように報道し、不確実であることを認めながらも謝罪しない、まことに不誠実で信用ならない新聞社であることに気づくべきだったのである。
このため、塩野は「直後から朝日新聞の購読者数が激減していたとしたら、いかに朝日でも十七年もの間頬(ほお)かむりすることはできなかったろう。……私もその一人である朝日新聞の読者は、購読を止めなかったという一事のみでも、朝日の報道姿勢を座視してきたことになる」と自戒を込めて語る。
この塩野の論考と、同じ「文藝春秋」の特集「『慰安婦検証記事』朝日OBはこう読んだ」に掲載された二つの論考を合わせて読むと、塩野の指摘についての理解がより深まる。
その一つは、元主筆の若宮啓文が寄稿した(「果たせなかった政治部長の責任」)。朝日は前述したように、97年に「従軍慰安婦に関する特集記事」を掲載することによって、吉田証言報道を「修正」したと考えたというのだ。そして、現在「『三十年以上も虚報を垂れ流した』といった批判がされるのは大変心外」と述べている。
さらに、吉田証言が虚報であったことを明確に認めて謝罪しなかった理由をいくつか述べて弁明するが、朝日の元主筆らしい情緒的な論考である。つまり、訂正・謝罪すべき側は朝日の権威を過信して「修正したからもういい」と考え、一方、その権威に寄り添って問題の重大性に気づかなかった読者が少なくなかったのだ。
同じ朝日OBで、読者と向き合う立場から、朝日の検証記事への不満を述べているのが元販売局・販売会社元社長の伊東伉(「慰安婦報道で読者は去った」)。伊東は90年代に読者離れが進行したことを示すデータが存在することを指摘しながら、「朝日の信用・ブランド力の低下と慰安婦報道の増加には関連性がある」と分析する。
筆者も、数年前の取材の中で、朝日OBが「昔は朝日の記事にも影響力あったのです」と嘆くのを聞いているから、朝日の影響力が低下したのは今にはじまったことではないのだろう。しかし、慰安婦に関する誤報だけでなく、原発事故をめぐる吉田証言に関する歪曲報道は、朝日に左派イデオロギーに添って、事実を歪(ゆが)めて報道する体質があることを白日の下に曝(さら)したのだ。
そして、慰安婦報道や、吉田調書は氷山の一角にすぎず、事実をねじ曲げた偏向報道は、ほかにも多々あるのではないか、という疑念も強まっている。8月5日に慰安婦報道の検証記事を掲載しても謝罪の記者会見を行わなかった木村社長が今月11日に謝罪会見を行った背景には、他メディアによる朝日批判で起こっている急激な読者離れがあったとみて間違いない。
ただ、慰安婦問題は、もはや朝日批判を繰り広げていればすむような問題ではなくなっている。イタリア在住の塩野は「従軍慰安婦問題とは近年とくに、日本に住んでいる日本人が考える以上の大きな問題になりつつあったのだ。アジアの国々にかぎらず、ヨーロッパやアメリカの人々の関心まで引くほどになっていたのだから、この変化はいずれは手術が不可欠になる」と述べている。
慰安婦問題で国際的に失った日本の威信をどう回復するかを考える上で、無視できない視点を提示した論考があった。韓国・世宗大学日本文学科教授の朴裕河の「『強制連行はなかった』と報じた韓国メディア」(「中央公論」)だ。
朴裕河と言えば、日本批判一辺倒の韓国の論調とは一線を画す「帝国の慰安婦」の著者で、元慰安婦から名誉毀損で告訴された知日派だ。その彼女でさえも「募集において国家による物理的強制性がなかったとしても、朝鮮人慰安婦たちは現場で暴行と強姦に遭ってもいました……そういう文脈から『朝日』の記事に、おおむね同意します」とした上で、「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」とした朝日の検証記事(8月5日付)に同調する。
さらには、「この問題を日本が『帝国主義に基づく性の収奪』ととらえ直し、反省の意を国会決議として出せば、最高の解決策となるかもしれません」と提言する。しかし、これは日本の現状とはあまりに乖離した解決策である。
慰安婦問題についての欧米の関心は、韓国の情報戦やそれに対する日本政府の対応のまずさから、強制連行があったかどうかではなくなっている。慰安婦そのものが女性の人権を蹂躙する許し難い制度と見ているのは間違いない。
慰安婦像が米国に七つ建っただけでなく、最近カナダにオープンした国立人権博物館で、旧日本軍の慰安婦制度がナチスのホロコーストと並ぶ残虐行為として展示されたのはその証左と捉えるべきだろう。
こうした誤解を解くために力を尽くすことは、朝日が失墜した信用を取り戻す上で不可欠である。日本政府も国際的な情報発信に本腰をいれなければならない時にきている。
編集委員 森田 清策