コロナの長期化 「人間らしさ」問われる
不条理を引き受ける勇気
新型コロナウイルス感染拡大による「緊急事態宣言」下に、ノーベル文学賞受賞者カミュの小説「ペスト」を読んだ。熱病の蔓延(まんえん)で封鎖された街で、多くの人が亡くなっていくという「不条理」の中で、どう「人間らしく」生きるか、そんな問い掛けを感じなら熟読した。
月刊誌は当然のことながら、どれも新型コロナをテーマにした論考で埋め尽くされている。その中で、「ペスト」と同じような視点を持った論考が何本かあった。京都大学名誉教授・佐伯啓思の「グローバリズムの『復讐』が始まった」(「文藝春秋」5月号)と、作家・瀬名秀明の「私たちは『人間らしさ』を問われている」(「Voice」6月号)が特に印象的だった。
現時点で、新型コロナについては分かっていることより分からないことが多い。だからこそ、「非常に恐ろしいウイルスだ」「それほど恐れる必要はない」など、「専門家」もさまざまな“説”を披露し、またマスコミがそれを報道する。それによって、不安を煽(あお)られた一般の人々がパニックに陥るという現象が広がっている。
だから、佐伯は「新型ウイルスは、『リスク』というより『不確実性』です。『何が事実か分からない』ということが、パニックの究極的な原因」と指摘しながら、「すると、人々はどうしても不安と不満を抱き、政府にぶつけたくなる」と、現在見られる安倍政権批判の背景にも、人々の不安があると分析する。
さらには「今日の風潮として、物事を自分で判断する力が弱まっている、というか、自分で判断することを避ける傾向が強いように感じます。自分自身の『常識』に頼らずに、責任や判断を『政府』『自治体』『専門家』『メディア』に委ねてしまう」と述べている。
一方、インフルエンザウイルス研究者の鈴木康夫を父に持ち、パンデミック(世界的流行)に関する共著を持つ瀬名。「かつて民衆がパニック化するのは『恐怖』が原動力でした。しかし今回、現代社会では『不安』が人びとを混乱に陥れるのだと初めて自覚できました」とした上で、「その結果、私たちは『人間らしさ』からむしろ遠ざかる行動に走ってしまう。不安だからトイレットペーパーを買いだめするし、必要以上に政府を罵(ののし)り、感染者を差別する。そして何よりも不安だからこそ『誰かに決めてほしい』と願ってしまう」と、パニックや政府批判の背景に国民の不安や依存があると喝破した。
では、新型コロナとの戦いが長期化するとともに、新たな感染症が蔓延する懸念が強い不条理の中で、われわれはどう生きたらいいのか。特に、日本では、疫病だけでなく、地震、洪水などの自然災害も宿命付けられている。
「我々は、こういう根本的な不確実性の下で生きている」と指摘する佐伯は、「最終的には死ぬという話ですが、そういう覚悟を持てるかどうかは、政府も誰も助けてくれません。一人ひとりの個人が引き受けるしかない」と、われわれに覚悟を迫る。
一方、瀬名は「不安に駆られることは、人間である以上は当然」としながら、緊急事態下だと言っても「精神的自由は担保」されているのだから、「洞察力を発揮したり、自制したり、勇気をもったりすることはできるはず」で、「人間らしさ」という「その原点に立ち返るべきときがきた」と訴える。不条理に遭遇しても、人間らしく生きたいという思いを捨てないことが、人間らしさを保ち続けることにつながるのかもしれない。
編集委員 森田 清策