“戦後”の安住やめ未来に備えよ
拓殖大学桂太郎塾名誉フェロー 田村重信氏
日本国憲法の最大の欠陥は、有事や非常事態に関する規定がないことだ。戦争になった場合、あるいは今回のような新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)するパンデミックにどう対処するかという規定はまったくない。
諸外国の憲法には軍隊の規定があり、国民の安全を守るため緊急時の原則的な対応が明記されている。それが世界の常識だ。
憲法に緊急事態の規定がないため、日本の危機管理に関する法律は常に後手に回り、実際に危機が起きて被害が出てからでないと整備が進まなかった。最初にできた災害対策基本法も、1959年の伊勢湾台風で5000人の命が奪われてやっと制定された。
今回は新型インフルエンザ等対策特別措置法を改正して対応しているが、その限界は明らかだ。
外出自粛や休業要請に従わない国民に厳しい罰則を求める声もあるが、今の憲法の枠組みでは難しい。他国のような罰則を伴う外出禁止や都市間の交通を遮断するロックダウンは不可能だ。緊急事態への対処は「今の法律の中で全部できる」と言ってきた野党は無責任さを自覚すべきである。
新型コロナに対し厳格な対応を示したのが台湾だ。2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)で困難を乗り越えた経験も大きい。政府がマスク増産や消毒液の流通を取り締まり、身分証の最後の数字が奇数か偶数かで国民を分けて1週間に1人当たり2枚のマスクを購入できるようにした。日本はマイナンバーが普及しておらず、こういった取り組みができない。
中華民国憲法43条には「非常事態対処規定」が明記されている。1993年の大地震に李登輝総統が手早く対応できたのも、憲法規定に基づく法律制度が整っていたからだ。
残念ながら日本では、憲法の全文を読んでいない国民も多く、内容をよく知らずに議論している人たちもいる。この機会に、もう一度憲法を読んでもらいたい。緊急事態に国民の安全を守るための規定があるのかないのかを自分の目で確認すれば、憲法改正を急ぐ理由を分かってもらえるはずだ。
憲法は権力を縛るためだけでなく、国民が幸せに、安全に生きるためのツールとして考えるといい。人間が成長すれば上着のサイズを変えるように、国家が成長したら憲法も変えるべきだ。
主要国における第2次大戦後の憲法改正の数は、米国6回、フランス27回、ドイツ63回、イタリア15回、インド103回、中国10回、韓国9回。日本だけがゼロだ。デンマークの哲学者キルケゴールは、一度に1万㌔以上飛べる野鴨が飼い慣らされて飛べなくなり、雪解けの激流に流され死んでしまう話を通し、安楽な環境への安住を戒めている。日本人も戦後築いた自由で平和な現状に安住し変革を忘れれば未来はない。再び日本が飛翔するためには一日も早く憲法を改正すべきだ。
ただ、現実としては新型コロナが収束し政局が安定しないと、改憲議論は前に進まない。憲法改正論議を推進するためにも、一刻も早い収束を願いたい。
今後政府は、感染症の専門家だけでなく精神科医や経済の専門家を加えて検討し、コロナ後をにらんだ戦略を政治決断すべきだ。世界各国と比べ、日本は極めて死者数が少ない。医療関係者は蔓延を防ぐためだけに自粛を求めるが、経済的にダメージを受ける人たちも多い。政治はこのように苦しむ街の人たちのことも考えるべきだ。(談)