コロナ踏まえ「私権制限」議論を

緊急事態と憲法 私の提言(上)

大和大学准教授 岩田 温氏

 新型コロナウイルス感染拡大により日本が戦後築いてきた法律や制度が緊急事態に十分対応できないことが明らかになった。その根底にある憲法の問題にまでさかのぼり、今後日本がどのような対応をすべきか、有識者らに聞いた。

岩田温氏

 いわた・あつし 1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院修了。現在、大和大学政治経済学部准教授。専攻は政治哲学。ユーチューブで「岩田温チャンネル」開局中。

 改正新型インフルエンザ特別措置法に基づく緊急事態が宣言されたことは大多数の人が要望しており、国民の間で広く合意ができていると思う。最初は私権制限を批判していた野党も後に「遅きに失していた」と発言するようになった。

 日本の大きな特徴は、日本国憲法に緊急事態条項がないため私権制限が極めて限定的にしか行われないことだ。自宅にいることを要請できても、命令はできない。自粛の段階で他国よりも効果を挙げているという点では世界の中でも非常に珍しい。もし日本国民が「政府が命令もせず要請だけしているから無視してしまえ」となったら効果はゼロだ。そういう意味では非常に危うい法律だ。

 私権制限について触れない形で、憲法の範囲内で何とかうまくやろうとしているのが政府の対応だ。憲法の範囲の中でやるのは当然のこと。もし憲法に問題があるとするならば憲法自体を変えなくてはいけない。

 わが国の憲法は「平和憲法」とよく言われるが、私は今までこの言葉を批判的に使ってきた。一般的に「憲法9条があるから、この憲法さえあれば日本は平和だ」という立場を指しているが、「平和憲法」とはテロ、戦争、疫病といった平和でない有事のことをまったく考えない憲法で、「平和な時にしか機能しない憲法」だ。改めてそう思った。日本がどこかの国に攻撃されるなど有事が起きた際、たちどころに根本的な意味で機能しなくなる可能性を秘めている。

 今回、立憲主義ほど重要になってくるテーマはない。立憲主義は国家の統治は憲法の制度内で行われるべきとするものだが、憲法に緊急事態条項がないまま今後もっと状況が悪くなるとしたら、立憲主義を逸脱し、憲法には書かれていないが法を超越してでも国民の命さえ守ることができればいいといった暴論が出てくる可能性がある。

 憲法は人間が作ったものなので限界がある。憲法で想定していない緊急事態が起きた際に、私権制限をするのは仕方ないことだと、落ち着いた後にきちんと説明ができる手続きができていないといけない。緊急事態宣言の期間についても、なぜこの時期まで国民の私権を制限しなければいけなかったのか、収束後にきちんと説明できるような法的な整備をしておく必要がある。日本国憲法にその根拠となる規定がないことが問題で、入れておくべきだ。

 憲法に緊急事態条項を作るとしたら、相当議論を重ねなくてはいけないので、今すぐにやって通るとは思わない。むしろ今まで議論を避けてきたことが問題だ。最近、オンラインでの国会審議や採決の話が出ているが、憲法56条の定足数(総議員の3分の1出席)規定がネックになっている。こういったことも含め、パンデミックの経験を経た後に、国民が納得できるものを憲法に入れるべきだ。今回の問題が収まってから進めることには大賛成だ。

 横浜のクルーズ船で厚生労働省の対応が批判されていたが、世界的に見ても台湾を除きうまくいっていない。危機の際に混乱があるのは当然で、「誰が悪い」と犯人捜しをするのは生産的ではない。クルーズ船において自衛隊が取った行動で適切だった部分や、厚労省の対応の反省点などを後に分析し、検証委員会を立ち上げ国会でも検証する部門をきちんと作るべきだ。今は国民の命を守ることが大事で、とにかく一致団結してコロナに打ち勝つことが第一だ。(談)