仏との関係強化狙うロシア
ロシアのプーチン大統領は5月29日、フランスのパリを訪問し、マクロン大統領との初会談を行った。ロシアと一定の距離を置きつつも、ロシアとのパイプを強化することで外交の幅を広げたいマクロン大統領の意向を利用し、対露経済制裁の緩和などにつなげたいところだ。一方、来年3月の大統領選に向けプーチン大統領の権威付けを進めるロシアは、25回目の「ロシアの日」を盛大に祝ったが、各地で行われた反政府デモに冷や水を浴びせられた形にもなった。(モスクワ支局)
経済制裁緩和を模索?
次期大統領選に向け超大国志向より鮮明に
ロシアでは12日、四半世紀の節目となる第25回「ロシアの日」を迎え、各地でさまざまなイベントが行われた。もともとこの日は、旧ソ連時代の1990年6月12日に、当時のエリツィン・ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議議長が同共和国を「ロシア共和国」と改称し、主権宣言を行った日である。
エリツィン氏は翌91年6月12日、ロシア共和国大統領に就任した。同年8月の「ソ連8月クーデター」では、クーデター鎮圧に活躍。ゴルバチョフ・ソ連大統領の権威は失墜し、同年12月25日、ソ連は崩壊した。
「ロシアの日」が正式に祝日になったのは、ロシア連邦が発足した後の92年。このため、今年の「ロシアの日」が25回目となる。ロシア連邦は92年から憲法制定作業を本格化させ、93年末に新憲法を制定。ソ連という“過去”との完全な決別を宣言した形だ。
今回の「ロシアの日」を前に、先月下旬から政府系メディアなどで「ロシアは超大国」とのプロパガンダを繰り返し展開した。そのプロパガンダを彩ったのは、プーチン大統領の仏訪問・マクロン大統領との初会談と、映画「プラトーン」や「JFK」などで知られるオリバー・ストーン監督が撮影したドキュメンタリー映画「プーチン氏のインタビュー」に関する報道だった。
「プーチン氏のインタビュー」は4部作で、米国では12日から15日にかけて、ロシアでは19日から22日にかけて放映される。プーチン政権は毎年恒例の「大統領と国民との直接対話」を15日に設定した。これは、電話やメールなどを通じて国民から寄せられたさまざまな質問にプーチン大統領が生中継で答えていくもの。
マクロン仏大統領との初会談では、仏大統領選へのロシアの介入疑惑などを受け、ロシアと一定の距離を置こうとするマクロン大統領の姿勢が垣間見えた。今回は実務訪問であり、会談を大統領官邸であるエリゼ宮ではなく、ベルサイユ宮殿で行ったこともその表れだ。ウクライナ問題などを受け、欧州諸国にはプーチン大統領への警戒感が強い。また、フランスのエリート層はプーチン大統領に否定的な見方が強く、これらもマクロン大統領の対応に影響を与えている。
しかし同時に、マクロン大統領はプーチン大統領をパリに招いたことで外交の選択肢を増やし、欧州の地政学を左右する新たなリーダーとなることを宣言した形だ。
プーチン大統領はこれを最大限に活用し、ウクライナ問題に関するミンスク合意の履行(東部での戦闘停止、親露独立派共和国の自治権拡大への憲法改正など)を通じてウクライナに圧力をかけることに加え、対露経済制裁の緩和を引き出す構えだ。
もちろん、これらがすぐに実現するとはプーチン大統領も考えてはいない。プーチン大統領は会談後の記者会見で「ロシア、フランス両国の根本的な利益は、現在の政治情勢よりもはるかに重要だ」と語り、実利に立脚した対応を行うようフランスを促した。
ロシアのメディアはこの会談を大々的に報じた。また、会談が行われたベルサイユ宮殿で、ロシアのピョートル大帝についての展覧会が始まることも、外交的成果としてアピールした。
一方、「ロシアの日」に、モスクワやサンクトペテルブルクなどの主要都市で、野党勢力の指導者ナワリヌイ氏の呼び掛けで、プーチン政権の汚職の追及を求める反政府デモが行われた。モスクワでは約4500人、サンクトペテルブルクでは約3500人が集まっていた。参加者らは「プーチンのいないロシア」などと叫び声を上げ、警官隊に拘束・連行された。
反プーチン勢力の指導者の一人ナワリヌイ氏は3月、メドベージェフ首相が不正蓄財に関与しているとして、首相が住む豪邸などの空撮映像をインターネットで公開した。
プーチン政権は「超大国ロシア」をアピールし大統領の権威付けを進め、来年3月の大統領選での再選を確実にしたいところだ。これに対し反プーチン勢力は政権の汚職を追及することで、政権への不満を持つ人々の受け皿となる構えだ。






