対独戦勝記念パレード、外国首脳参加は1人

クリミア併合に旧ソ連諸国も反発

 ロシアの首都モスクワ「赤の広場」で9日、旧ソ連の対独戦勝72周年を記念する軍事パレードが大規模に行われた。ロシアによるウクライナのクリミア併合は旧ソ連諸国でも強い反発を招き、式典に参加した外国首脳は1人だけだった。軍事パレードでは、極北の極寒の中で運用可能な兵器を初登場させ、北極圏の領有権争いで他国を牽制(けんせい)する姿勢をあらわにした。(モスクワ支局)

極北運用の戦力を誇示
領有権争いで他国を牽制

 対独戦勝記念日の軍事パレードは、国威発揚を進めるロシアにとって、最も重要な行事の一つ。かつては旧ソ連諸国をはじめとする主要国の外国首脳が出席する中で、盛大に執り行っていた。

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9日、モスクワで行われた軍事パレードで公開されたロシア軍の北極圏向け防衛システム(時事)

 ロシアが2014年、ウクライナのクリミアを併合したことは、欧米だけでなく、ロシアと国境を接する周辺国など旧ソ連諸国の強い反発と懸念を招いた。対独戦勝70周年の節目となる2015年の式典に出席した外国首脳は、招待した68の国や国際機関のうちわずか20。習近平中国国家主席が出席したことで、何とか面目を保った形だった。

 今回の戦勝記念式典に出席した外国首脳は、旧ソ連諸国の一つモルドバの、親露派として知られるドドン大統領のみだった。

 「戦勝記念パレードは外国からの客人のためではなく、まず第一に退役軍人の方々のために行うのである。外国の客人が出席するかしないかは、彼らが判断することだ。ただ、自ら出席しないと判断する人もいれば、恥ずかしくて出席できない人もいるだろう。また、ワシントンが出席させてくれない人もいるだろう」。ロシアのニュースサイトLenta.ruは、このようにプーチン大統領の発言を掲載している。

 今回の戦勝記念日で注目されたのは、北極圏での運用を目的に白く塗装された防空ミサイルシステム「トール」や「パンツィリ」が、初めて軍事パレードで披露されたことだ。サリュコフ陸軍総司令官はパレードに先立ち、「社会の多くの人々が初めて、極北仕様の防空ミサイルシステムを目にすることだろう」と、誇らしげに語っていた。これは、沿岸各国の領有権争いが過熱する北極海をめぐり、ロシアが他国を牽制した形だ。

 ロシアはバレンツ海などの大陸棚を、基線から200カイリを越えて北極点まで延伸する申請を国連大陸棚委員会に行った。北極海底のロモノソフ、メンデレーエフ両海嶺(かいれい)は、シベリア大陸棚の自然延長であるとの主張がその根拠だ。

 しかし、両海嶺がロシアが主張するように、ロシアからカナダ領エルズミーア島に向かって伸びているのか、それとも逆にエルズミーア島からロシアに向かって伸びているのかを判断するのは困難だ。カナダは、カナダ側の大陸棚の延長だと主張している。

 プーチン大統領が戦勝記念日に行った演説は、国家主権の擁護、独立性、愛国心などに関するもので、これまでとほとんど変わらないものだった。一方で、ロシア政府は対独戦勝記念日の“国家が主導する形での大衆化”を全力で進めており、それは着実に実現しつつある。

 ロシアには二通りの、対独戦勝記念日に対する認識がある。第一は、ソ連という集権国家体制とスターリンによって勝利を収めたとの認識である。クレムリンはこの認識に基づき、自らはそれを相続した者であり、勝利者として発言する権利を有すると考えている。

 第二は、ソ連という国家やスターリンとは関係なく、生き残るために必死だった個々の人々が勝利を収めたとの認識である。そして、その勝利者としての立場を後に、ソ連という国家が人々から奪ったと考えている。

 第二の認識に立つ人々は、これまでもさまざまな形で「国家ではなく個々の人々の勝利であり、それを国家が奪った」とアピールしてきた。その集大成ともいえるのが「不死の連隊」行進だ。愛国心や、国家をたたえるスローガンや横断幕を掲げるのではなく、独ソ戦で戦った親族の写真を持った人々による行進である。

 しかし、その「不死の連隊」の意図を知るクレムリンは、それを巧妙に取り込み、「不死の連隊」本来の意図を歪曲(わいきょく)し、国家をたたえる行進へと変質させることに成功した。

 昨年の戦勝記念日では、地方政府などの働き掛けもありモスクワだけで70万人以上の人々が「不死の連隊」行進に参加し、プーチン大統領自らがその行進に加わった。今年もロシア全土で多くの人々が「不死の連隊」行進に参加しており、国家が主導する形での「戦勝記念日の大衆化」が実現した。

 一方、野党活動家であり作家のエドワルド・リモーノフ氏によると、ロシアの国旗や国章に対する侮辱罪を定めた刑法329条を改正し、侮辱罪の対象に、対独戦勝記念日を加える動きが進んでいる。対独戦勝記念日を「不可侵」のものとすることでさまざまな批判を封じ込め、クレムリンを中心とする国家体制をさらに強化する動きとみることができる。