聖イサアク大聖堂、サンクトペテルブルク市がロシア正教会に譲渡へ

反対するリベラル派野党

 ロシア第2の都市サンクトペテルブルクで、ユネスコの世界遺産の一つである世界最大級の聖堂「聖イサアク大聖堂」をロシア正教会に譲渡すると市長が決定したことをめぐり、支持する人々と、反対するリベラル派野党などの間で対立が広がっている。もっとも、正教の信者だけでなく多数の市民は正教会への譲渡を支持しているとみられ、リベラル派の乖離(かいり)が目立つ形となっている。(モスクワ支局)

賛成派多数、市民感情と乖離
共産党支持者でも「歴史的正義の回復」

 ユネスコの世界遺産に登録されているサンクトペテルブルク歴史地区・関連建築物群の中でも、ひときわ目立つ存在の一つが聖イサアク大聖堂だ。軟弱な地盤に2万2千本の杭(くい)を打ち込み、基礎工事だけで5年、1858年の完成までに実に40年の歳月を要した。高さ101・5㍍、幅97・6㍍、奥行き111・3㍍のロシア・ビザンチン様式を基本とした大聖堂は、圧倒的な存在感と美しく華やかな装飾で訪れる人々を魅了する。

聖イサアク大聖堂

サンクトペテルブルクにある聖イサアク大聖堂(Wikimedia/Ivan Smelov)

 しかし、聖イサアク大聖堂は“聖堂”と呼ばれながらも、公式には宗教施設ではなく、国立博物館である。

 1917年のロシア革命により政権を握った共産党は過酷な宗教弾圧を実行した。7万人以上の聖職者を銃殺もしくは投獄し、多くの聖堂や修道院を閉鎖した。博物館にされた聖イサアク大聖堂はそれでも幸運な部類に属している。モスクワの救世主ハリストス大聖堂は1931年、スターリンの指令で跡形もなく爆破された(ソ連崩壊後の2000年に再建)。聖イサアク大聖堂では現在、副聖堂の一部で礼拝が行われているが、博物館としての機能が優先されている。

 このような中で、サンクトペテルブルクのポルタフチェンコ市長は1月10日、聖イサアク大聖堂を無償で49年間、ロシア正教会に貸与すると決定したと発表した。事実上、ロシア正教会に譲渡するとの内容である。市長の突然の発表は大きな波紋を呼び、賛成派と反対派が集会やデモを繰り返す騒ぎとなった。

 反対しているのは、サンクトペテルブルク市議会のリベラル派野党「ヤブロコ」や国民自由党(通称パルナス・代表=カシヤノフ元首相)、公正なロシアなどとその支持者である。「国民の財産である博物館を宗教団体に譲渡すべきではない」とし、サンクトペテルブルク市がイサアク大聖堂博物館の入場料収入を失うことも問題視している(ロシア正教に譲渡後は、入堂は無料となる)。また「聖イサアク大聖堂は革命以前、ロシア正教会ではなく国家の所有物だった」と指摘し、ロシア正教会に譲渡する根拠はないとしている。

 これに対し賛成派は、次のように反論している。「革命前のロシアでは教会と国家は一体であり、国家の一部であった。そもそも当時、聖イサアク大聖堂は礼拝の場であり、博物館ではなかった。聖堂として礼拝の場に戻すべきである」

 その上で、聖イサアク大聖堂が正教会に事実上譲渡されても、市民や観光客にとって開かれた施設であることに変わりはないと説明している。

 ロシアにはピョートル大帝(1672~1725)の時代から、二つの民族が存在すると言われている。西欧市民社会を志向する比較的教育水準の高い人々と、その他多くの保守的な人々のことだ。前者は後にザーパドニキ(西欧派)を生み、後者はスラブ派を生んだ。現在のロシアでは、およそ85%の人々が保守的・伝統的なロシアを志向しているとされ、彼らの言う「ロシア的なもの」は、ロシア正教と密接に結び付いている。

 この保守的とされる人々のうち、敬虔(けいけん)なロシア正教徒は6~7%程度だが、自らをロシア正教の信者と考える人々は多い。また、これら保守層には共産党支持者も含まれるが、彼らの中にも、聖イサアク大聖堂のロシア正教への譲渡を「歴史的な正義の回復」と見なす人々は多い。

 これら多数の市民感情に逆らうのは得策ではないと考えるのが、ロシア共産党である。ジュガーノフ委員長をはじめとするロシア共産党の下院議員らは本来、「聖イサアク大聖堂を博物館として残すべきだ」と主張し、リベラル派に同調してもおかしくはないのだが、そのようなことはしない。以前より党勢は低下したとはいえ、議会第2党の座を確保していることと無縁ではないだろう。

 リベラル派はソ連崩壊直後に躍進したが、急激な資本主義化による社会の混乱、貧富の拡大が人々の反発を招き、国民の支持を失った。聖イサアク大聖堂の譲渡をめぐる問題でも市民感情からの乖離が目立っており、党勢が回復する兆しは見えない。