シリア反政府勢力、国境地域から撤退

イスラエル、人道支援を終了

 内戦が続くシリアで、昨年6月からの同国軍による攻撃を受けて、イスラエル国境付近の地域を拠点としていた反体制勢力が撤退、国境地域はシリア政府の支配下に入った。これを受けてイスラエル軍は9月13日、5年以上にわたった国境付近のシリア国民への人道支援を終了させた。(エルサレム・森田貴裕)

対決姿勢強めるシリア政府

 イスラエル軍は声明で、「シリア政府がシリア南部に戻ったことで、大規模かつ長期間にわたる人道的な努力は終結した」と述べた。

500

 シリア政府軍は6月、シリア南部の反体制派武装勢力に対する軍事的包囲を強化。ロシアの仲介で複数の反体制派武装勢力が7月、イスラエル占領下にあるゴラン高原と接する地域から撤退した。

 イスラエルとシリアは第4次中東戦争後の1974年、停戦協定を結び、両国の兵力引き離しと、ゴラン高原の停戦ラインでの緩衝地帯の設置を決めている。

 2011年にシリア南部ダルアー県でアサド政権に対する最初の抗議行動による暴動が発生した後、反体制派武装勢力はイスラエル国境に接する地域を奪取。その後、イスラエル占領下にあるゴラン高原とシリアの反体制派武装勢力が支配する地域との間に負傷したシリア国民が現れ始めた。

 イスラエル軍は2013年初め、内戦で負傷したシリア国民を人道援助のために受け入れ、野戦病院を設置して治療を開始。イスラエル国内の病院でも負傷したシリア国民の治療を行った。また、幾つかのイスラエルの非政府組織(NGO)も国境を越えて人道援助を行った。

800

7月17日、シリア南西部のゴラン高原に集まるシリアの避難民(AFP時事)

 人道援助は大幅に拡大され、16年に人道支援プログラム「良き隣人作戦」としてイスラエルで正式に承認された。このプログラムはシリア内戦で負傷したシリア国民だけでなく、難聴など内戦の影響以外の病気の治療も可能にした。国境には日帰り診療所「マゾル・ラダク(苦しみの解放)」が設置され、シリア国民7000人が治療を受けた。

 イスラエル軍によると、13年以来、人道支援作戦で、1300人の子供を含むシリア人4900人がイスラエルの病院に入院し、医療支援を受けた。

 イスラエルがこの5年間に、シリアへ搬入した食料は1700㌧、燃料110万㍑、医療機器・医薬品2万6000ケース、発電機20台、車両40台、テント630張、衣類350㌧、おむつ820パック、ベビーフード4万9000ケースとなっている。

 イスラエル軍には、シリア人からの感謝が寄せられ、あるシリア人男性は、「私たちの傍らで、あなた方が行った助けは、決して忘れることができない。このことは息子たちにも伝える」とアラビア語で述べたという。軍は安全上の理由から男性の身元は明らかにできないとしている。

 「良き隣人作戦」に加え、イスラエル軍は7月、米国、欧州諸国からの要請で、シリア政府軍の攻撃でシリア南西部の戦闘地域に取り残されていた救助組織「シリア民間防衛隊(ホワイト・ヘルメッツ)」数百人とその家族をゴラン高原経由でヨルダンへと避難させている。

 ゴラン高原は、イスラエルが1967年の第3次中東戦争(6日戦争)でシリアから奪い占領。73年の第4次中東戦争で奪還を試みたシリア軍の攻撃を退けて同地の占拠を続け、81年にクネセト(国会)によって併合した。国際社会は併合を認めていない。

 シリアのムアレム外相は9月の国連総会で、「われわれがテロリストからシリア南部を解放したように、ゴラン高原を1967年6月4日の(第3次中東戦争以前の)国境まで必ず解放する」と、イスラエルとの対決姿勢を強めている。