シリア内戦、反体制派地域の奪還続く
シリア内戦は、アサド政権軍が、反体制派の支配地域を着実に奪還、内戦終結の希望も持てるまでになった。2015年9月のロシアの介入は、青息吐息の同政権軍を強化、17年11月の過激派組織「イスラム国」(IS)の「首都」ラッカの解放を経て、反体制派掃討が加速、今年に入り、拠点だった東グータ地区を奪還、内戦の勃発地南部ダルアー県の完全奪還も達成した。(カイロ・鈴木眞吉)
ロシアがアサド政権支援
大統領「国の再建」に自信
今年6月末からの動きを見ると、ダルアー県の八つの町が6月30日、ロシア仲介の交渉によりアサド政権側に引き渡された。反体制派戦闘員は、重火器を政権側に引き渡し、退去を望む者はシリア北部の反体制派支配地域に向かった。政権側はこれで、同県の面積の50%以上を支配下に収めた。奪還地域は「自由シリア軍」や「イラク・シリア・イスラム国」などの支配地域。注目すべきは、約1年前、米国とロシア、ヨルダンが停戦合意した保護対象地域だったこと。合意は有名無実化している。
政権軍とロシア軍は7月5日、2週間前に攻勢を強めて以来最も激しい空爆を実施、ミサイルと樽(たる)爆弾「数百発」を投下した。ロシア側と反体制側との降伏交渉が4日に決裂したことを受け、それを撤回させる狙いがあった。強い圧力に反体制派は同県の全市町村を政権側に引き渡し、重火器の武装解除に応じた。合意に反対する戦闘員らは、唯一残された反体制派支配地域の北西部イドリブ県に退避した。
一方、アサド大統領は9日、首都ダマスカスで、ムアレム外相ら外交官らを前に、「最優先課題は、国の再建だ」と語り、国家を主導することへの自信を披歴した。
政権軍は12日、ついに県の中心ダルアー市内に入り、市中心部の広場に国旗を掲げた。同市は、「アラブの春」が11年シリアに上陸、学校の壁に反政府的なスローガンを書いた10代の若者数人が逮捕され拷問されたことへの抗議活動が行われた、内戦勃発の契機となった所。
14日には、ダルアー市の反体制派が、重火器類をアサド政権軍に引き渡し、政権軍の掌握地域は県全体の80%を超えた。
15日、政権軍は、米露が昨年合意した「安全地帯」の一つである南西部クネイトラ県で空爆を実施。同県はダルアー県に隣接し、イスラエル占領地のゴラン高原に近い。ここでも米露の合意が一方的に破棄された。
18日には複数の反体制派勢力がゴラン高原と接する緩衝地帯から撤退したことにより政権軍は県の90%超を支配下に置いた。
20日には、クネイトラ周辺の武装勢力が政権側と撤退交渉で合意し移動を開始、政権側は南部一帯の領域をほぼ掌握。政権軍とロシア軍は同日、ダルアー県内に残るISの最後の拠点を空爆して、南部のほぼ全域を奪還、権力が及ばない地域はイドリブ県とラッカ周辺の北部一帯となった。
順調な支配地域奪還の背景には、トランプ米大統領が、シリア内戦介入に消極的で、アサド政権の存続を後押ししている側面があるとの指摘もある。
英メディアは、反体制派を支援していた米国が、反体制派に「介入することを期待しないでほしい」と伝えたことが、反体制派の撤退を促す一因になったと指摘している。
16日の米露首脳会談では、シリア難民の帰還も話題にするなど、内戦の幕引きを図りたい米国の姿勢がにじみ出たとの評もある。
そもそも、アラブの春に対するオバマ前米大統領に基本的誤りがあったとの指摘はエジプトの識者に共通している。オバマ氏は世俗主義を切り捨て、イスラム主義を容認、シリアではムスリム同胞団主導の自由シリア軍などを支援した。チュニジアとエジプトは「ムスリム同胞団」によるイスラム主義支配を打倒、世俗主義で乗り切ったが、イラク、シリア、イエメン、リビアは両勢力の戦いで混乱してきた。アラブの春の悲劇に終止符を打つ道は世俗主義に立ち返ることだろう。世俗主義は信教の自由を保障し、イスラム主義は、他宗教の信教の自由を拒否するからだ。