イスラエル建国70年、激化するパレスチナ抗議デモ

 イスラエルは19日、建国70周年を迎え、各都市でコンサートなどイベントの開催も予定され、祝賀ムードだ。パレスチナ自治区ガザ地区のイスラエルとの境界沿いでは、イスラエル建国などにより故郷を追われたパレスチナ難民の帰還を求めるデモが連日行われている。パレスチナ問題は70年目を迎える。(エルサレム・森田貴裕)

軍との衝突で33人が死亡

 イスラエルは、英国の委任統治が終了した70年前の1948年5月14日(ユダヤ暦5708年イヤル月5日)、国際連合のパレスチナ分割決議に従ってユダヤ人国家を建設し独立を宣言した。ユダヤ暦では今年は19日に当たる。

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イスラエル軍に向かって投石するパレスチナ人デモ隊=3月31日、パレスチナ自治区ガザ(AFP=時事)

 イスラエルの建国を承認しない周辺のアラブ諸国、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトの5カ国から成るアラブ連盟が宣戦布告。翌15日、一斉にイスラエル領内に侵攻し、第1次中東戦争(独立戦争)が勃発した。

 この戦争により、70万人以上のパレスチナ人が難民となり周辺諸国に移住を余儀なくされた。パレスチナ人は、この5月15日をナクバ(大惨事)と呼んでいる。

 イスラム根本主義組織ハマスの呼び掛けにより先月30日に始められた大規模なパレスチナ難民帰還デモ以降、パレスチナ人らはイスラエルとの境界フェンスから数百㍍の場所にテント村を形成。ハマスは、ナクバ70周年を記念する来月15日までデモを続けるとしている。

 イスラム教の集団礼拝が行われる金曜日に行われた先月30日のデモは、約3万人が参加し、暴徒らがイスラエルのネタニヤフ首相のポスターやタイヤを燃やし、手投げ弾や石をイスラエル軍部隊に投げ付けた。イスラエル軍は、催涙ガスやゴム弾だけでなく交戦規定に則(のっと)って実弾を使用、暴徒らの排除を試みた。この日の激しい衝突でパレスチナ人16人が死亡、1400人以上が負傷した。

 ヨルダン川西岸地区の各地でも小規模のデモが行われ、パレスチナ自治政府のアッバス議長は、衝突の責任はイスラエルにあると批判した。

 デモが続けられる中、イスラエルの国内情報機関シンベトとイスラエル軍は4日、3月12日にガザ沖でイスラエル海軍巡視艇をミサイル攻撃し、海軍兵士を誘拐しようとしたイスラム聖戦の計画を未然に阻止し、首謀者らを逮捕していたことを明らかにした。

 ネタニヤフ首相は、「この計画がガザのテログループの真の目的であり、ガザ境界で行われている大規模デモは、この攻撃計画のカムフラージュだ」と主張した。

 6日には2万人規模のデモが行われた。暴徒らは、境界沿いの5カ所で火を付けたタイヤを積み上げて黒い煙幕を張り、イスラエル兵士の狙撃から逃れるため、ブルドーザーなどの建設用重機の背後に隠れた。軍は、タイヤの火を消し止めるための放水砲や煙を散らすための巨大送風機も配備して対応。この日の衝突で、パレスチナ人10人が死亡、1000人以上が負傷した。

 アッバス議長は、イスラエルによる「殺人と抑圧」を非難する声明を出し、国連安全保障理事会に非武装パレスチナ人の国際的保護を要請した。

 国連のグテレス事務総長は、すべての当事者に自制を呼び掛け、特にイスラエルに対し実力行使に際しては細心の注意を払うよう求めた。

 抗議行動開始以降、3回目の金曜となった13日にも1万人規模のデモが行われた。イスラエル軍との衝突で死者数が増え続け、ガザの保健当局によると、これまでにパレスチナ人33人が死亡した。

 大規模デモを呼び掛けているハマスは5日に、イスラエルとの闘争で死亡した者の家族に報酬を支払ったとの声明を発表している。ハマス報道官によると、イスラエル軍の攻撃で殺害された者の家族には3000㌦(約32万円)、負傷者には被害の程度に応じて200~500㌦を支払っているという。ハマスは、「この報酬は、イスラエルのガザ包囲の結果による人々の困難な経済状況に考慮して提供されている」と述べた。